ブログ「川辺にて思う」

シベリア抑留に給付金の記事

昨日の新聞に「シベリア抑留に給付金」という記事がありました。

第二次大戦後、旧ソ連のシベリアやモンゴルに強制抑留された人に特別給付金を支給する特別措置法案が国会に提出され、成立の見通し、という内容。

私の父は終戦後、シベリアに抑留された人の一人です。
父が85才で他界して3年が過ぎました。

母方の伯父の一人もシベリア抑留の経験者で、現在97才です。

今、もし父がこのニュースを聞いたとしたら、どんな思いをするだろうと考えてしまいました。

シベリアに抑留された経験を持つ人の生存者は推定10万人、平均年齢は90才近くです。

父はシベリア時代の辛かったことをあまり多くは語りませんでしたが、何人もの人たちが餓えのあまり、ジャガイモの芽も葉も茎も量が増えるからといってあえて育てては、食べて、腹痛でのたうち回って死んでいったと私は聞いたことがあります。

ウィキペディアによると、
「国際法上、捕虜として抑留された国で働いた賃金は、 帰国時に証明書を持ち帰ればその捕虜の所属国が支払うことになっている。日本政府は、南方地域で米英の捕虜になった日本兵に対しては、個人計算カード(労 働証明書)に基き賃金を支払った。しかし、ソ連は抑留者に労働証明書を発行せず、日本政府はそれを理由に賃金を支払わなかった。1992年以後、ロシア政府は労働証明書を発行するようになったが、日本政府は未だに賃金支払を行っていない。」
とあります。

ニュース番組で、私の父と同じくらいの年齢の、たしか元抑留者補償協議会の方々(だったと思います)が政府に対して補償を求めて、賢明に要請を繰り返している姿を見ました。

彼方ロシアで死んでいった仲間の尊厳のためにも政府に認識を求めて闘い続けると語る方々の、その姿は父の姿に重なり、どれほど辛かったことだろう、そして今もどれほど辛い闘いを続けているのかと思うと涙があふれました。

「補償」はお金のためではないのだと思います。
「補償」は、その起きた事実を日本政府が認知することを意味するシンボルなのだと思います。

これまでの政府はシベリア抑留を経験した人たちが、まるでそこにいないかのように今まで過ごしてきています。
まだ日本に帰って来ていないとでも言うつもりなのでしょうか。
政府が補償の必要を認知し実行するまで、彼らの魂は日本に辿り着ききることができないのではないかと思えます。

早く、早く、早く、日本の地を踏ませてください。

父は亡くなる数日前に「早く日本に帰りたいなあ」と混濁する意識の合間に何度もつぶやいていました。
「お父さん、今どこにいるの?」と私が聞くと
「今、ナホトカの港だ。ナホトカから舞鶴に向かう船を待ってるんだ」

天国の日本で、ゆっくり休んでいてくれているでしょうか。
お父さん。

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