ブログ「川辺にて思う」

低血圧とアイデンティティ

低血圧は子どもの頃からという有力な仮説が浮上し、私の世界観は揺らいでいます。

もし、私の血圧が子どもの頃から一般的なものであったなら、つい数日前まで私の中に巣くっていた根深い申し訳なさや、劣等感は存在する理由がなかったのではないか。

おそらく、通常の会社勤めができていたのではないか、性格もある程度違っていたのではないか、劣等感も程度が違い、生きていて申し訳ないという気持ちもそれほどひどくはなかったのではないかと考えられるというのは、今まで築き上げてきた自分像の土台が崩れ落ちていく感じです。

早起きができないばっかりに、頭が良くても大学の朝の時限に出席できずに単位を落としたり、能力は高くても遅刻が多くて会社勤めがまともにできずエリートになり損ねるビジネスマンとか、昼間の仕事をあきらめざるを得なくてフリーターになったりする人もいるんだろうなあ。

社会はもしや、正常な血圧と高血圧の人のためにやや大きく開いているのではないかとか思えてしまいました。
少なくとも学校はそうです。
低血圧の人にしてみると、社会生活での選択の幅は狭いのです。

なんで、ここにきて突然こんなこと(子どもの頃の血圧はおそらく上が70程度)がわかったんだろう、ともつらつら考えていたら、やはりこの情報も適切に消化できる程度に私が育ったから、訪れることができたのかなと思えました。
今はそれなりに生活の仕方をコントロールができるようになったので。

いわゆる夜の世界の仕事をしている人たちの血圧を片っ端から調べたら、低い人が多いんじゃないかなと思えます。

血圧正常の人とか高血圧の人とかは、それらの人に向かって「不健康な生活をしているから低血圧なんだろう」とか言うのではないかと想像してしまうのですが、「低血圧だから選べる職種が限られるんだよ!」と想像上の高血圧の人に向かって反論したくなってしまう。
妄想の世界でけんかです。

私が英会話教室を開いたのだって、最初のレッスンを昼過ぎからに出来るのも理由のひとつだったもの。

私にとって、朝早く起きることがこれほどまでに大変ではなく、もう少し社会生活が営みやすかったとしたら、私はファミリー・コンステレーションと出会っていなかっただろうと確信しています。
英会話教室をやっていた時にファミリー・コンステレーションに出会ってますからね。

そうすると日本のファミリー・コンステレーションの広まり方も現在とは違ったものになっていたのね。
あ、今これを読んで、日本国内の何人かは正直なところ、チェトナが低血圧で良かったと思ったような気がする。違うか。

この前、「トワイライト」というヴァンパイアもののDVDを借りたのですが、ヴァンパイア一族は絶対低血圧っぽいよなあ、狼男族はなんだか高血圧っぽいなあ、と思って観ている自分を発見。

このところ、会う人、会う人全員、高血圧か正常、低血圧かで分類してしまう私です。

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