ブログ「川辺にて思う」

オープンセサミとタヒニタイムス

かつて英会話教室を経営していました。
1992年7月から1999年12月23日まで。

「オープンセサミ外国語教室」

受け付けていた年齢層は5才から無制限で、確か上は一時70代までいて、親子3代で通ってくれていた家族もありました。

3才から習わせたいと何度も要望をもらいましたが、子どもが自分で体験レッスンに来て、本人が気に入ったら入って下さい、という方針だったので、自発性の芽生える5才からおいで下さい、としていました。

5才から、小学生、中学生、高校生、大人と、多いときで100名程が在席し、外国人講師を雇い、やることは山ほどありました。

借りていた場所は結構広く、大きな教室が2つ、待合室にキッチン、トイレ、事務室と、他の会社とかと共有しなくてすんでいたので、とてものびのびできる良い空間でした。

床は一面ピンクのカーペットを敷き詰め、窓は広く南向きで、観葉植物をたくさん置いて、アメリカから取り寄せた教材をバラエティ豊かに用意し、私が子どもだったら通ってみたいという場所を作り上げました。

かなり熱いファンが現れてくれて、風邪をひいて熱があって学校を休んでも、オープンセサミは休みたくないとお母さんに訴えてなんとしても通ってきたりと、そんな子が何人もいました。

子どもたちが本当に楽しそうに通ってきてくれている様子だったので、友だちをたくさん誘ってきてくれないかな、入会者数がもう少しふえないかなと私は期待していたのですが、そんな様子が見えないので、一度こどもたちに尋ねたところ、

「あまりにも楽しくて友だちに教えるのがもったいない」とか、

「自分だけの秘密の楽園にしておきたいから絶対に友だちに邪魔されたくない」とか、笑顔で報告されて、私は愕然としました。

毎日のように子どもたちの何人かが入れ替わり立ち替わり事務室に乱入してきては、私のデスクを占拠してみたり、引き出しを勝手に開けたり、まあ、色々にぎやかな日々が怒濤のように続いていったわけです。

毎月一回、タヒニタイムスという通信を出していて、A4サイズの紙面の両面に子どもを見ていて発見した面白いエピソードとか、お知らせとか、報告とか、イベントとかを載せ、余白には手書きで子ども一人ずつ個別にメッセージを書いて発送していました。
タヒニというのはごまペーストのことです。

その当時は毎月毎月新しいことを書くことができないように思えたりで、締め切りの日が来るのが苦痛でした。

私が事務室の自分のデスクで必死でタヒニタイムスの原稿を書いては直し、書いては直ししているのを、斜め後ろから楽しそうにちょっかい出して来る中学生の女の子が二人いました。

ひとりは10才から通ってきていた女の子で、もうひとりは11才から通ってきていた女の子です。

私がその子たちに、
「ちょっとこの原稿読んでみてくれる?」
と頼むと、

「うん、いいよ」

とざーっと読んで、
指を指して、

「この文章からいきなりこっちの文章に行くのって、ちょっとゴーイン過ぎない? ギャップあり過ぎで意味通じにくいって」

「もう少し意味通じるように書き直したら?」

とか、交互に結構なダメ出しをされて、

「なるほど、わかりました」

と素直に書き直し、再びチェックしてもらったりして、
私はようやく通信を仕上げていたのを思い出します。

その厳しいダメ出しをくれていた内のひとり、10才から通っていた女の子が、私と私の助手が出張のとき、会長の世話をしてくれている人です。

彼女にはこの5月から会長の世話以外でもアルバイトとして私の仕事を手伝ってもらうことにしました。

もうひとりの11才から通っていた女の子の方が、現在の私の助手です。

気がつくと15年の付き合いです。

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