ブログ「川辺にて思う」

トレーニングのこと ③ ハラルドの説得

空港で
2001年
空港で見送りの祭のスナップ

手伝ってくれたスタッフと

バートと共に行う筈だった、
日本でのファミリー・コンステレーションのトレーニングは、
そういうわけで立ち消えになりました。

ハラルドとしてもアジアでのトレーニングの構想は消え失せ、
数々の重なった出来事に打ちのめされていた筈なのです。

そんな中、
ハラルドは1週間に一回、
10日に一回のペースでメールをくれたり、
電話をかけてきたりと、
ひたすら私を励まし続け、
トレーニングを立ち上げるように迫り続けました。

彼こそ絶望的な気分の中にいたにも関わらず・・です。

私は『トレーニング』などという、
とてつもないプロジェクトを立ち上げるために必要な、
気力も体力もないことを自覚していたので、
ハラルドに
「私には受講者を集めるために必要なエネルギーがない。自分にはとうてい無理」
と言い続けていました。

でも、ハラルドは折れなかった。

「よし、こうしよう。
君の準備が整うまで、トレーニングではなくて、ワークショップをやろう。

アジア・トレーニングのために空けてある日程で
オープン・ワークショップをやるために僕は日本に来るから。

そこでトレーニングについてアピールし、開催のための基盤を整えよう。
ワークショップの参加者の数は君が集められるだけでいい。」

そこまで言うものだから、
私は仕方なく、
断りきれなくて、
渋々、
本当に渋々、
ハラルドのワークショップを開催するようになっていきました。

1回目のワークショップ参加者が20名を切っても、
ハラルドは文句など一切言わず、
ひたすら私をプッシュし続けていました。

「チェトナ、トレーニングをやらなきゃダメだ。
いつまでも1回こっきりの、
次に繋がらないワークショップをやっていては、
日本がとんでもないことになるんだ。

日本をドイツの現状みたいにしてはいけないんだ。

このまま行ったら日本でも覚悟も責任感もない人たちが次から次へと出てきて、
基礎を知らずに見よう見まねだけで行う人たちよって、
このワークが広まっていってしまうんだよ。

日本がそうなっても、チェトナ、君はいいのか。

いいかい、バートはずっと、
ファミリー・コンステレーションのトレーニングを行うことに反対してきた。

誰でも学ぶべきだと言って、
専門家の特技にすべきではないと言って、
見て学ぶことができるから、
ワークショップに参加して、
母親は家に帰って自分の子どもを理解することに役立てなさい、
医者や看護士は患者のために、
保育士はキンダーガーデンの子どもたちのために、
教師は生徒のためにファミリー・コンステレーションを役立てなさい、と言い続けてきた。

確かにバートが言っていることにも一理ある。

だけど、それだけでは済まなかったんだ。

バートのワークショップに数回参加して、
バートの本を読んで、
すっかりわかった気になって、
ワークショップやトレーニングを始める人間がたくさん生まれてしまった。

そして、それらに参加して、そこからワークショップやトレーニングを
始める人間まで出てくるようになってしまったんだ。

バートは、バートの知識と経験があってできることを、
誰でもできると思ってしまった。
それは間違いだ。

今ではドイツはもう手遅れなんだ。

基礎も理論も知らない人たちが大勢見よう見まねで、
クライアントの人生と生命に関与している。

チェトナ、日本がそうなってしまうかどうかは君にかかっているんだよ。」

「でも、ハラルド、私なんかがそんな大役できるとは思えない。
私には荷が重すぎる。」


空

数ヶ月後にハラルドはまた日本に来てくれました。

ハラルドの二回目のワークショップの参加者は確か16人くらいでした。
お金がなくて、
私にとって大先輩の、
先生でもあるハラルドの宿泊には、
戸塚の安っぽいビジネスホテルしか用意できませんでした。

そんな結果でもハラルドは決して怒りませんでした。
でも静かに、毅然と、私に最終の決断を迫りました。

「チェトナ、君がトレーニングを始める気がないなら、
僕はもう日本には来れない。

次の日程は2004年だけど、
その日がトレーニングの開始の回でないとしたら、
僕が日本に来るのは今回が最後だ。
いいね。」

わかっていたこととはいえ、
軽くショックを受けながら、
重い気持ちで私は答えました。

「ハラルド、私は精神科医でもなければ、サイコセラピストでもない。
大学で勉強したことは全く違う分野なので、
そんな私がトレーニングを主催したとしても、
社会的に認められるものにできるか自信がないの。」

「いいかい、チェトナ。

ドイツではファミリー・コンステレーションを、
セラピストや精神科医だけが使えるものにすべきだという議論が持ち上がって、
それについては随分話し合われ、検討されてきたんだ。

だけど、サイコセラピストだから、精神科医だからといって、
ファミリー・コンステレーションにおいて有能とは限らないことが、
もう結論として出てしまっているんだ。

しかし、もしそのファシリテーターが有能な場合、
その人が精神医療や、臨床心理を学んでいたら、
何も勉強していないでコンステレーションをやっている人よりも、
はるかに安心できる存在となるんだ。

人の心に関与することの危険や恐さを知っているからね。

今の日本に、
バートのファミリー・コンステレーシ
ョンのセミナーの現場に、
君以上に参加し続けた日本人が他にいるのか?

チェトナ、君以上に、
ドイツのトレーナーたちとの間に太いパイプを持っている人間が他にいるのか?

君がオーガナイズした2001年の日本の2カ所のワークショップのクオリティは、
僕が見続けてきたバートの仕事の中でもここ数年来
なかったぐらいの素晴らしい内容だった。

主催者の姿勢がワークショップの質を決めるんだよ。
君は自分を見くびり過ぎだ。」

私にはまだ決めることができませんでした。

「時間をください。
ここで決めることはまだできないので、しばらく考えさてほしい。」

「チェトナ、
いつまでに返事をくれるか、
期限を区切って欲しい。

僕も今後の仕事のスケジュールを決めなくてはならないんだ。

待てるのは2週間。

それ以上は無理だ。」

「わかりました。
2週間以内にやるかやらないか返事をします。」

ハラルドがドイツに戻った後、
漆黒の闇の中に浮かんでいるような、
重苦しい雲に包まれているような気持ちの中で、sora JPG
私は自問を始めました。

2002年まで、
自分が信じていた世界は崩れ落ちてしまったため、
その世界に住んでいた自分を、
私は信じられなくなっていました。

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