ブログ「川辺にて思う」

自分を責めること

やってしまったことに囚われて、
自分を責めてしまったり、
いつまでもクヨクヨ思い悩んでしまったり、

それから、
やらなきゃいけないのに、
やれない、
やらない、
気持ちや身体がついて行かなくて、
動けなくて・・・、
そして、
自分を責めてしまう。

責めても責めなくても、
起きたことは変わらないし、
責めてるばかりで何もしないなら、
自分も世界も何も変わらないのにね。

写真1

そんなことばっかりやってました。
かつては。

それが今では、
そんな風にしなくても、
たんたんと普通に日常を過ごせるようになっています。

なぜか・・・というと、
私をセラピーと瞑想の道に導いてくれた師匠のオショーが、
かつて教えてくれたことのひとつに、

「全てエネルギー」というものがあるからです。

私たちはエネルギーで出来ていて、
水も、草も、空も、火も、土も、風も、石も、
犬も、ネコも、魚も、人間も、思考も、愛も、
生きていても、死んでしまっても、全てエネルギー。

そこからたくさん学びました。

たとえば、

※ 過去にやってしまったことで後悔することがあるのなら、
 まずいったんそれを自分はやってしまった、
 やらかしちゃった、
 もうそれは変えられない、
 取り返しがつかない、
 誰も代わりに罪悪感を感じてはくれないと認めてしまう。

直視してしまうとなぜか、
何かが楽になるのです。(これは、バート・ヘリンガーが教えてくれたこと)

だって、もうどうしようもないのですもん。

で、そのために自分を責める代わりに何ができるのかを考える。

何か思いついたら、
どんな馬鹿げたことでも、
何はともあれやってしまう。

そして、なにも思い浮かばず、
何をする気持ちもわかないなら、
何もする気持ちもわかないと、それも認めてしまう。

もしそこで、
クヨクヨのサークルにまた入ってしまいそうなら、
その時点で、
やっちまったことは取り返せないと認めていないことになるので、※に戻ります

自分を客観視できるとき、
自分が自分に対して、
今、何をしているのかに気づくことができます。

自分を責めたり、
クヨクヨの悪循環にはまってしまっている状態に、
自分で気づくことができたら、
そこから出るのも容易です。

客観視を可能にするものを、
私はスペースとか余裕と呼びます。

スペースとか余裕は、
訓練とちょっとしたコツによって生み出しやすくなります。

その訓練を瞑想とか、マインドフルネスとか呼びます。

苦しくて苦しくてどうしようもなかった日々に、
私はたくさん瞑想しました。

そのスペースの中から
ある時気づいて、
私に役立ったのは、
何をする気持ちもわかない、
とか、
気力がない、
というとき、
「気持ち」とか、「気力」という言葉を、
「エネルギー」という言葉に自分の心の中で置き換えるということでした。

「気持ち」や「気力」を、
「エネルギー」という言葉に変換させてしまうと、
自分でコントロールできないことに気づきやすくなります。

「気持ち」とか、
「気力」という言葉には何か魔法のようなパワーがあって、
まるで自分でコントロールできるみたいに思えてしまい、
自分の責任で何とかしないといけないと、
それができないと悪いみたいに感じてしまいがちです。

一度、それらの言葉を「エネルギー」に置き換えてみてください。

エネルギーがあるとき、
エネルギーは自ずと動こうとします。

動けないときというのは、
ただ純粋にエネルギーがないから、
身体も心もそれに従っているだけです。

無いものは出せないのです。

無いもので自分を責めてもさすがにどうしようもないので、
責めても無駄だと気づきやすくなります。

でも、この方法も、
自分を責めるエネルギーすらないときには役に立ちません。

そのような時はじっとして、
ただ、時間が過ぎ去っていくのを待つ以外ありません。

時も、魔法のエネルギーです。

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