たまに、
時々、
やはりというか、
自信がなくなることがあります。

私のやっていることは果たしてこれでいいのだろうか。
何か間違っていないだろうか。
気づかないうちに調子に乗っていなかっただろうか。
もしかしておごり高ぶっているのではないだろうか。
知らずに人様にひどい迷惑をかけているのではないだろうか。

そんな不安が暗雲のように、
頭上にのしかかってくることがあります。

重苦しさにつぶれそうになります。

私も大人になって(笑)
じたばたすると、
その暗雲は長く居座るし、
余計に分厚くなることを知っているので、

そんなときはじっと息をひそめて、
静かにそれが過ぎ去って行くのを待ちます。

お酒を飲んで憂さ晴らしを試みても、
そいつらは曲がり角の向こう側で待ち受けていて、
静かに私の腕を両脇から抱えて歩調を揃えて進むので、
ほんの一時の気休めもあまり役に立ちません。

しばらく放っておくと、
不安は少し小さくなっていくので、
その頃になったら、
自分の内側をじっくりと覗き込んで、
これまで起きて来たことをそっと数えてみます。

幼い頃の記憶。
欲しかったのに手に入れられなかったもの。
手放したくなかったのに失ってしまったもの。
私にひどい仕打ちをした人たち。
私がひどい仕打ちをした人たち。
欲しいなんて夢にも思わなかったのに与えられたもの。
あてにしてなどいなかったのに助けてくれた人たち。
死の世界に旅立っていった愛する人たち。
生きて、残されている私。
失ったものと引き換えに得てきたもの。
過去の私。
自分を否定してきた長い年月。
今も守り、支えてくれている存在。

時間。

そして、私は自分に問いかけてみます。

あの時の私に、
他の選択肢はあっただろうか。

もしも、なにかが違っていたら、
別の人生の選択をしていたかも知れない。

けれど、
あの時の私には、
もしも、もなかったし、
何か、もなかったし、
何も違うものは与えられていなかった。

環境も人も時代も全くあのままで、
私の能力も気力も体力も、
私に命を与えて育てた親たちの
時代も運命も何も寸分変わらない、
それらの様々なでき事の果てのあの状況にいた私に、
他の選択肢は、
果たしてあったのか。

なかった気がします。
どう考えても他の選択肢など、
あり得なかったと思うのです。

追いつめられて、
ギリギリのところで押し流されて、
無我夢中でつかんできたもので、
今の自分ができているとしか、
どうにも捉えようがないのです。

その積み重ねの自分。

その集大成の自分を責めても、
責めようがないのです。

やっぱり。

もしも、
あったとしたら、
もしも、
あったとしても、
私は、
それでもやはり、
同じものを選択していたのではないか、
と、あるとき、
ふと、思ったのです。2010032015390001

今の自分の感じていることと出会うために。

このことに気づいてしまうと、
その上で不安に苛まれてしまうなら、
それも仕方がないと、
これはどうしようもないことなのだと、
妙に、
私は自分に好意的になってしまうのです。

過去の自分も信頼してみよう、
と思えるようになってからは、
ちょっと新しいドアが開いた感じがあって、

そんな風に考えるきっかけとなった不安も、
少なくとも私にとっては、
悪いだけのものではないのかも知れません。