ブログ「川辺にて思う」

居場所がない


子供の頃、
自分の家に居場所がないように感じて、
外にその居場所を求めていた時期がありました。

家に帰りたくなくて、
今考えるとよく分からない理由で、
公園で時間をつぶしたり、
友達の家に入りびたったりして、
高校の時には、
家に帰る時間を遅くするための手段として、
校長先生の家の飼い犬の散歩をかって出るということまでして、
帰宅時間を遅らせていました。

とにかく家に帰らないでいる時間を、
できるだけ引き延ばそうとしていたように思います。

現実には、
親が懸命に働いて建てた家もあり、
私には自分の部屋も与えられていたし、
日中は両親は共働きだったけれど健在で、
近所に親戚が住んでいて面倒を見てくれていて、
虐待されていたわけでもなく、
両親は離婚してもいなかったし、
継母にいじめられていたわけでもなく、
継父に暴力を振るわれていたわけでもなく、
何も問題らしい問題はなかったはずなのです。

でも、家に帰りたくなくて、
たくさんの言い訳をいつも考えていました。

大学生になってからは、
親元を離れているので、
誰にも何の遠慮もなかったのに、
喫茶店にいる時間が長くなったり、
飲みに出かけたり、
あまり自分の部屋に落ち着いていなかったように思い出します。

一人で静かに、
穏やかに過ごせない状態にいた自分を、
居場所がないという言葉で表現していたのだとわかります。

女子厚生保護施設で出会う、
カウンセリングをさせていただいてている方々の、
耐えられないほど辛い生まれ育った境遇を思うと、
彼女たちがそこに穏やかに居られる居場所がないのは明らかです。

でも、私のような、
いわゆる普通に育ってきたはずの人間を内側から駆り立てる、
与えられた場所にいられなくするその力は一体どこから来ているのか、
なぜ自分はこれほどまで不安定なのか、
その謎解きをしないではいられなかったことが、
自分を今ここに至らせたのではないかと思います。

大学生だった頃の私の願望は「普通になりたい」でした。

でも、傍目には、
私には普通じゃないと感じる理由はなかったはずなのです。

なので、私の親は悩みました。

必要なものも、
それ以上のものも十分に与えているはずなのに、
娘の私は不安定で、
怒りっぽく、
感謝知らずで、
親が思い描いていた「大切に育てた娘像」とは程遠いものでした。

そこには、
受け取っているという実感を持つ「私自身」がいなかったのです。

私はまるで、
ひどく喉が渇いて干からびかかっているのに、
水の飲み方がわからず、
泉のかたわらで、
苦しさにのたうち回っているロバのようでした。

どれほど豊かに与えられていても、
十分に恵まれた環境にあっても、
私は一切感じ取ることができませんでした。

無意識のうちに、
親の過去の経験、
過去の悲しみ、
戦争中に味わった様々な苦悩を感じ取っていて、
それをどうにかしなくてはいけないと、
何かの役割を背負わなくてはいけないと知らぬ間に駆り立てられ、
私が本来居るはずだった、
子供のための場所から大きく外れた場所で、
必死にもがき奮闘していたのです。

たとえ居場所があったとしても、
そこにいるべき人がその人の中にいなければ、
居場所を感じることはできません。

私が発見した居場所がないという感覚は、
とても主観的なものでした。

ちょっと前に、
ディズニーのアニメの主題歌が流行り、
「ありの〜ままでえ〜」という言葉をよく耳にしました。

「ありのままの私」はどういう私なのでしょう。

どんな人でしょうか。
何に喜び、
何に悲しみ、
何に怒り、
何に幸福を感じるのでしょうか。

ありのままの私は何によってできているのでしょう。
綺麗なものだけでしょうか。
腹黒い部分もあるでしょうか。

一人でいるのが好きでしょうか。
人に囲まれているのが好きでしょうか。

ありのままの自分を生きていくというのは、
果たしてどういう状態を指すのでしょうか。

ありのままの私を受け入れて欲しいと、
子供の頃の私は夢想していましたが、
本人はありのままの自分がどういう自分かは、
全くわかっていなかったと今の私は自信を持って言えます。

それなのに、
誰にもわかってもらえないと思っていたのです。

あの頃の私は、
誰に、
何をわかってもらいたかったのでしょうか。

そして、たとえありのままの自分をわかってくれる人がいたとしても、
居場所を与えられていても、
感じることができなかった私が、
私の中にいない私が、
ありのままの私だったのだから、
その人が手を差し伸べてくれたとしても、
その意味はわからなかったことでしょう。

もはやパラドックスです。

ああ、もう、
どこにも救いがないみたい。

不憫で、
可哀想で、
必死だったあの頃の健気な私を、
今の私は抱きしめてやりたいと思うのですが、
あの頃の私はきっと、
「うるさい、何をわかった気になってんのよ」とでも言って、
差し伸べた手をひっぱたくかも知れません。

尖ってましたよー、私。

それでも、
何か大きな力が導いてくれて、
流れ、
流され、
岸辺に打ち上げられて、
開けた目に映った今日の景色は綺麗だったり、
今日、
口に含んだ水は甘かったりするのです。

迷いも天の意思。
悩みも天の計らい。
苦しみから何を学ぶかは自分への贈り物。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

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会場:大阪 池田市
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参加費 一般:
39,960/2日間(37,000円+消費税)

トレーニング生の参加費は数通りの設定があります。

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主催:ヘリンガー・インスティテュート・ジャパン

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