ブログ「川辺にて思う」

その奥の真実を探す

新年おめでとうございます。

camellia-1813113__340本年が皆様にとって、
目の前の小さな出来事を楽しみ、味わい、
ゆったりと感じ取って糧としていけるような、
穏やかな1年となりますように。

あらためて思うのですが、早いですね。
1年が過ぎるのは。

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お知らせです。

3月に2週連続でワークショップを行います。

東京と大阪です。
ワークショップの醍醐味を知っていただきたいので、
大阪では3月は個人セッションは行いません。

● 関東
小林真美(チェトナ小林) オープンワークショップ 詳細
日程:3月4日(土)・5日(日)
会場:東京 北砂中央地区集会所
参加費 一般:48,600円/2日間(45,000円+消費税)
※トレーニング生は参加費が異なるためお問い合わせください。
主催:ヘリンガー・インスティテュート・ジャパン
お問い合わせ・お申し込み:ヘリンガー・インスティテュート・ジャパンまで

● 関西
小林真美(チェトナ小林) オープンワークショップ 詳細
日程:3月11日(土)・12日(日)
会場:大阪府池田市 カフェ三菓亭二階研修室
参加費 一般:48,600円/2日間(45,000円+消費税)
※トレーニング生は参加費が異なるためお問い合わせください。
主催:ヘリンガー・インスティテュート・ジャパン
お問い合わせ・お申し込み:ヘリンガー・インスティテュート・ジャパンまで

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さて、本題です。

「その奥の真実を探すこと」について書こうと思い立ちました。

この頃、思い巡らしているのが
「実像は見えなくて虚像に惑わされる」
という現象であります。

いっとき、断捨離という言葉が流行ったことがありました。

私にはあまりピンとくるものがなかったので、
特に深く調べたりはしませんでしたが、
物を捨てるのが流行ったらしいという程度に記憶しています。

先日、大きな本屋さんに行く機会がありました。
エスカレーター脇に特設ブースがあって、
「物に縛られない生き方」とか、
「シンプルに暮らす」みたいな標語が掲げてあり、
関連する書籍が並べられていました。

何やら、
たくさんの物を持ちすぎて縛られている生き方は窮屈ですよー、
といった印象を持たせるディスプレイでした。

その横を通り、
エスカレーターで降りながら、
「物があっても縛られなければいいのではないのかなあ」と、
ぼんやりと思いました。
別にその標語に文句があるのではないのですが。

問題は「物」ではなくて、
「縛られていること」なのだと思うのです。

その上で本当に問題なのは、
自分が実は何に縛られているかを、
本人が気づいていない場合がある、ということではないかと思います。

問題は記憶の方で、
物そのものではありません。
ただ、物には記憶も、思い出も、他者の念も宿るので、
何を手放し、
何を残すかは慎重に感じ分けて選ぶ必要があります。

良い記憶と結びついていて、
それを見ると嬉しくなったり、
温かい気持ちが湧き上がったり、
誰かの愛情を思い出すことができる物なら、
ずっと大切に持っていればいいのです。

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でも、誰かがプレゼントしてくれたものだから、
高価だけど思い切って買った物だから、
まだ一度しか使っていないから、
などという理由で、
プレゼントをくれた人のことを特に好きでもなんでもないのに、
かつてそれは高くてお洒落で流行っていたけど、
今となってはそれを手に持っても嬉しくも何ともないのに、
まだ使えるからという理由で、
見ると面白くない記憶が蘇るのにもかかわらず、
もしもまだ持っているのなら、
それは手放してもいい物かも知れません。

そういった類の物は、
置いておくだけで所有者のエネルギーを奪います。

私は子供の頃のしつけで「もったいない精神」を教えられました。
私にはそう簡単に物を捨てることができません。
でもこの頃は、何か持ち物を増やす毎に、
それと類似の古い物を同じ数だけ減らすようにしています。

人に譲る場合は、
手にとってよーく感じ取ってみるのです。
これは自分の記憶と照らし合わせて価値があるのか、
まだ未練はあっても他の人の方が活用してくれるのではないか、
今の自分には合わなくてもそれなりに価値があり、
他の人に譲った場合、喜んでもらえる物なのか、
相手の喜ぶ顔を想像できるかなどなど。

何でもかんでも物を捨てさえすれば気が楽になる、
というわけではないように思います。
物にまつわる記憶や思い出、
物に込められているエネルギーがどのような質かということです。
物自体には罪はありません。

そこに誰がどのような気を注いだかで、
それが自分を縛る物にもなり、
あるいは後押しをしてくれたり、
道を切り開く助けをする物にもなり得ます。

コンステレーションの現場でも似たような誤解は多々目にします。
わけも分からず、
漠然と苦しい時、物事が思うように進まない時、
私たちの多くは、その原因は親にある、
親の育て方が悪かったせいだ、
または、先祖に問題のある人がいたせいだ、
その人と自分がもつれているせいだ、と考えがちです。

そしてまた、こういう人もいます。

もうセラピーはいっぱいやってきたから、
親に問題がないのはもうわかっているし、
ご先祖様にも今は感謝している、
それでも苦しいのは消えない、
だとすると、この問題の原因は夫のせいだ、
妻のせいだ、と自分の連れ合いに原因を求めてしまいます。

親のせいでも、
ご先祖様のせいでも、
夫や妻のせいでもない悩みや問題というものも、
この世には存在します。

でも、そのような問題の原因を探るのは容易ではないので、
大抵、一番身近な人が濡れ衣を着せられます。

この頃の私は、
どのクライアントの問題であっても、
何でもかんでもまず親のせいにするのは、
ご先祖様のせいにするのも、
夫や妻のせいにするのも、
もう嫌だなあと思ってしまいます。

本当の原因は、
もっと奥の方にあるように見えるのです。

その原因を解明することができた時に、
それまで悩みの原因だと思っていた、
濡れ衣を着せて文句を言ってきた相手が、
本当は一番の味方だったり、
もっとも愛情を注いでくれている人だと、
感じられるようになるのです。

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