ファミリー・コンステレーション

ファミリー・コンステレーションとは

ファミリー・コンステレーションとは、自分の問題、自分の苦しみと思っていたことを、家族の全体(システム)や、自分という存在を構成している要素全体という観点から見直すことを可能にする方法です。自分の問題と、自分自身との間に距離を生み出し、その問題から歩み出す力を自らの内側に見つけ出す方法です。

自分の問題と思っていたことについて、家族全体(システム)や、自分を構成している要素の代理を第三者にしてもらうことで、自分と問題との事実関係、前後関係を冷静に、客観的にとらえ直すことを容易にします。

ファミリー・コンステレーションを通して問題の背後に何があったのか、その再現された現場を自分自身の目で見て、感じ取ることで、それまで問題として見えていたものが、意識の深層においては隠れた愛の表明であったり、親を守ろうと自分を犠牲にすることもいとわない純粋な思いであったりと、全く別の様相を表します。

その問題が起こらざるを得なかった背景が明らかになると、自分がその全体の中で担ってきた役割の意味が理解され、努力では解決できなかったことを可能にする力を、自分の中に発見できるようになるのです。そして、その力が現実の日常を変えていきます。

バート・ヘリンガー以降のファミリー・コンステレーション

​ドイツ人セラピスト、バート・ヘリンガーによるファミリー・コンステレーションは、アメリカのソーシャルワーカーであったヴァージニア・サティアが構築した家族心理療法の可能性を大きく広げました。

ヘリンガーは、セラピーの過程で「なぜ、自分の苦しみを語るときに微笑む人たちがいるのだろう」と疑問に感じ、「そのように苦しむことが、誰か、もしくは何かの役に立っているからではないか」との仮説を導き出しました。表面的には辛い、何とかしたい、と思っていても、潜在意識では「自分は正しく、役に立っている」と思い込んでいる可能性があるのです。その背後にあるものを探ることから、ヘリンガーはそれまでになかった洞察を次々と得るようになっていきました。

自分自身は苦悩の中でもがきながらも、口元に浮かぶ微笑みが家族への愛や忠誠心を現しているのであれば、その苦しみを手放すことは愛を手放す恐れとつながり、忠誠心に背くことになるので簡単なことではありません。

愛や忠誠心を傷つけることなく、苦しみから解放されることは可能なのでしょうか。それが可能であることをヘリンガーはその研究の過程で明らかにしていきました。

私たちの多くは、けなげにも、自分が困難や苦しみを引き受けさえすれば、物事はうまくゆく、家族の誰かの苦しみは払拭されるという思いに無意識に捕われ、実に巧妙に事故や病気や、人生の失敗に巻き込まれていきます。その思いは意識の非常に深い層に刻み込まれているため、通常自分自身は意識していません。

ファミリー・コンステレーションのワークショップや個人セッションでは、その無意識に作られていた姿勢、在り方を目に見えるものにし、理解することによって変容をもたらします。

問題のとらえ方

例えば頭痛は、頭以外の場所、骨盤のねじれや特定の栄養不足やカフェインの取りすぎといった複合的な条件によって起きることがあります。それは頭だけの問題ではなく、体全体の問題が頭に症状を出しているのかもしれません。

ファミリー・コンステレーションでは、家族の中の誰かひとりが苦しんでいるとき、それを個人の問題としてではなく、家族という一つのエネルギー体に生じた症状としてとらえます。その家族の中で最も弱く繊細な一人が家族内に隠れていた問題を目に見えるものにしたのです。その最も苦しんでいる一人を通して家族全体に働きかけます。

私たちが個人の問題として認識する、例えば鬱であったり、拒食症であったり、ひきこもりなどは、実は個人的というより家族そのものが抱えている見えない問題が一点に表出しているという観点が、ファミリー・コンステレーションがシステミック(全体)セラピーという所以です。

個人を助けるために、家族の全体像を俯瞰的に見ることで、解決や快方に向かうための方向を探ります。

ワークショップやセッションの場で、それまで経験してきた事象の背後に愛と尊重、和解と調和が改めて発見されることで、それまで悩みや苦しみでしかなかったものの真の意味や価値が認識され、理解が生まれます。理解が、悩みや苦しみのただ中で縛られていた在り方を解放し、その理解によって生まれた新しいバランスでの関係性が、ゆっくりと現実の家族の中に溶け込んでいきます。

ファミリー・コンステレーション後のケア

自分のコンステレーションを立てて、問題の背景と因果関係を理解した後、クライアントの中には、目の前で繰り広げられた光景を、自分の人生の現実の中に消化していく過程で、一時的に心身に不調を感じることがあります。自分の意識下にあった家族像、自分像が変化して、新しいバランスを見つけようとする動きが始まっているのです。それは深い癒しが起こるための土台となります。頭で分析したり、喋って整理しようと試みない方が、新たなバランスに移行しやすいことでしょう。

ファミリー・コンステレーションは医療行為ではありません。イベント受講後の感情的、身体的変化を感じる可能性については、受講を決めたご自身の責任であることが前提となります。心身の変化に関しての助言を必要とされる方には、そのイベントの主催者、または、小林真美(チェトナ小林)が電話か電子メールで行います。

必要な場合は、精神科の医師をご紹介します。その後の経過についてお知らせの上、お問い合わせ下さい。

ファミリーコンストレーションオンライン
ファミリーコンストレーションワークショップ
散歩コンストレーション

※精神科医による治療の過程にある方には、ファミリー・コンステレーションのイベントやセッションの受講をお勧めしない場合があります。お申し込みの際はご相談ください。

ファミリー・コンステレーションの事例

家族体系の参考例

子ども、あるいは孫の世代が過去に除外された誰かともつれる
犯罪、病、あるいは家族内の憎しみあいといった出来事の結果として、家族の一員が家族システムの外に追い出されてしまうのはよくあることです。そのような人たちは、表面的には家族の中からは消え去ります。しかし、エネルギーという観点からは、彼らは家族の中に存在し続け、その存在は主張します。そして家族の中に流れる「良心」は、「除外された存在」を思い出させ、認識させようというエネルギーの場を作り出し、次の世代、もしくはその次の世代の子どもがその人の身代わりをする象徴的な役を担うことになります。 身代わりをしなくてはならないという衝動は、本人が感じ取ることができる意識の領域よりもさらに深いところからきます。そこに本人の選択肢はなく、強い力に突き動かされて、表層の意識では望まないこと、犯罪を犯したり、病気や事故を引き寄せたり、不本意な物に依存したりするのです。
実の親か、養父母か
養子縁組での両親は、当然のように本当の親の役を引き継ごうと試みます。しかし、ほとんどの場合、特殊な例外を除いて、それは家族の中に不調和と、子どもから恨みを引き出します。往々にして、養子となった子どもは、自分を手放した親への恨みを養父母に対してぶつけます。血のつながった親ではない者が、実の親の振りをするとき、子どもは騙されたように感じます。 実の親とは生命が誕生したことに責任のある者であり、養父母とは役割が全く異なります。両者を取り替える事は不可能です。生命を生み出す事の重みを知るなら、それを育む責任を他者には譲渡しえないことを理解することです。実の親に重大な問題が生じて、子どもの世話をする事が不可能な状況に限って、子どもは里親に託され得ますが、養子縁組を結ぶ事はまた別の問題です。
「あなたの代わりに私がやります」
ある人は、自分が産まれる前に亡くなった家族の誰かの代わりを務めようとして、苦しみを背負い込んでしまうことがあります。 例えば、もしかしたら、亡くなった祖母の後を追うという母親の無意識下の密かな自殺願望を、その子どもは自覚ないまま察知して、母の代わりに祖母を追って死に、祖母のかたわらに横たわりたいという母親の行こうとする場所を自分で埋めてしまい、母を死なせまいとしているのかも知れません。 あるいは、ある子どもは両親のどちらかの、結婚以前のパートナーともつれていることがあります。母の昔の恋人ともつれた息子が立派なお母さん子になり、男の力を父から受け取ることができなくなっていたり、父が心変わりをして別れた過去の婚約者ともつれた娘が母親と父親の間に割って入ろうとしたりして、家族の調和は崩壊します。無視され、尊重されなかった過去の親のパートナーが認識され、尊重されるまで、子どもたちはがんばり続けます。 物事は必ずしも見かけ通りではありません。加害者だと思われていた人物が、実は非常に愛情深いが為に、過去を認識させるための行為を繰り広げていることがあります。また、被害者と信じられて来た人が、問題となっている事件の原因を作っていることがしばしばあります。そして、それにも過去からの理由や原因があったりするのです。

体験者の事例

片付けられない症候群
部屋を片付けることができない、掃除ができない、物を捨てることができない状態が何年も続き、居住空間が凄まじいごみ溜めと化したという人がワークショップに参加しました。おしゃれで洗練された容貌の、いかにも仕事ができそうな、清潔感のある快活な印象の40代の男性の方です。とても汚い部屋に住んでいるとは想像ができません。 実態を想像するのが難しかったので、部屋の写真を持っていたら見せて欲しいと尋ねました。そして、その方が恐る恐る見せてくれた写真には想像を絶する光景が写っていました。 家族背景を探っていく中でわかったのが、家族みんなチャキチャキの江戸っ子で、下町の生まれでした。そして、両親ともそれぞれ子供時代に東京大空襲をかろうじて生き延びていました。特に父親の記憶は鮮烈で、くすぶる瓦礫の中を走って逃げた話を彼は何度も聞かされて育ちました。 彼の部屋は、空襲の時の東京の景色を無意識に再現していたのです。父親の記憶や恐怖心から父親を守りたいがために、自分がその時の光景を引き受けることが彼の父親への愛でした。いくら自分が代わりに背負ったとしても、親の過去の記憶を消すことはできないこと、現在の自分が父の子供時代にできることはないと、過去に遡って助けようとする自分の願望を手放したときに、彼は父親よりも小さくなり、自分が父を守ってきたのではなく、生き延びた父が自分を守り育ててきたことを初めて受け止めることができるようになりました。心の中に順序や秩序の感覚が湧き上がり、部屋の中のゴミの山を眺めたときに、何をどの順番で捨てればいいかがわかるようになりました。
父の父親を与えたかった娘
ある女性の父方の祖父は、彼女の父親が産まれる前に亡くなりました。彼女は物心つく頃から、無意識に自分を男のように振る舞わせたり、男性のような服装をするようになっていきました。女性らしくいようとする希望と、男のように振る舞おうとする衝動の葛藤に、思春期から成年期に至るまで非常に苦しんで過ごしました。 ファミリー・コンステレーションによって問題のルーツが何だったのかが明らかになるに連れ、彼女は自分を男にすることによって、父に父親を与えたがっていたということを理解しました。そこで初めて、女性として生きて良いと、男性のようになる必要がないと、ようやく自分に許可を出すことができました。

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