体験談

2013年10月26日(土)・27(日)
戦後世代のためのファミリー・コンステレーション〜私たちの共通項〜
実施アンケート結果

萩原慶子さん
チェトナさんがお話下さった事、私は以前、いっぱい本を読んだり、日本国のすばらしさを学んできました。
GHQの占領政策により日本がだめになって行く、子供達の世代のことをとても心配して下さっていた方々に随分学びました。
でもその方たちが亡くなってゆき、いつの間にか私も「時代が変わっているのだから」等と学びを忘れていました。
今、こんなワークをして下さる方がいたという事が喜びであり自分の学んできた事を思い出し自信を持ちました。
ありがとうございました。
藤澤昭子さん
GHQの占領政策について、どれだけ浸透しているか何度も色々な角度から再認識でき、強く意識することの必要性を痛感しました。その影響で個人の家系の問題があやふやになり、とらえられにくいことに驚きを感じました。貴重な体験だと思います。
ありがとうございます。様々なエクササイズが体験できてよかったです。
奥村美和さん
自分が知らないことで、自分に影響を及ぼしていることさえ気づいていなかったが、2日間で意識でき、これから自分が自分を癒していくヒントをたくさんもらった気がします。やっぱり自分なんだなぁ…
条井聖子さん
また一歩、自分の立ち位置が少しわかってきた感じがします。そして、更に自分のルーツは今まで思っていた以上に複雑でありこれから時間をかけて、紐解いていく必要があると思いました。どうもありがとうございます。
上田恵子さん
2日間とても深いワークがつづき、終わった途端、どっと疲れがでてしまいました。
この影響が実生活でどう展開していくか楽しみです。どうもありがとうございました。
林俊介さん
大変有意義でした。原発事故以降、知るべき事項が多すぎて正直どこから手をつけていいかわからなかったものが、はっきりと意思を持って目的を手に入れた感じがします。
今は「チェトナさんの視点にたどりつけるのが当然」という感じです。今後もこのようなワークショップを行っていただきたいと思いますがそれと同時に自分も発信者になってみたいです。ありがとうございました。
上田正敏さん
自分の運命に向き合って生きていく準備ができました。ありがとうございます。チェトナのニュートラルで真摯にグループに向き合う姿勢が安全と安心な場になっていました。「自分の腑に落ちたことが真実です。」という言葉に真実を見ました。自分の目で見て耳で聴いて感じて考えて前に進みます。GHQ恐るべし。
意見:トレーニング生の人たちがグループをサポートできるくらいに育つといいな。
グループのホールド感がもっと出るなと思いました。ありがとうございました
松野いずみさん
GHQの占領政策しらべて、しることの大切さがわかりました。本気でしらべます。
KSさん
今回、ファミコン参加まったくはじめてでよく分からず参加させていただきました。初日は言われたままにエクササイズをしましたが1つ、2つとエクササイズをするたびに戦争が、自分の家族に想像/予想以上に影響を与えていることを感じました。(何がどのようになどの詳細はわかりませんが) そして、一晩寝て2日目は家族や先祖がとっても愛おしくなり、早くお墓参りに行きたくてたまらなくなりました。親戚や祖先と距離を置いてきたこと、戦争はもうとっくに済んだことと思っていた意識が変わり、今までの分離感も統合していけるきっかけをいただきました。自分ももっと大切にそして愛せるようになれると思います。本当にありがとうございました。
Oさん
コンステレーションを全く受けていない人からトレーニング終了した人まで幅広かったため、自分にとっては不要な説明も多く感じた。もし3日間とれるなら初日をその説明、理解の時間にできるのではないかと。経験者は2日目からではどうか?今までチェトナさんから戦争に関して聞いていた気がしたが、今回初めて素直に聞けた理解の扉が開いた気がする。最初、戦後教育に関するワークを受けた時は怒りを感じ、その次、レクチャーを聞いた時は押しつけ感があった。しかし、小林よしのりのマンガやらインターネットやら少しずつ洗脳の解除を自分でもしてきた今、やっと。最後の先祖、日本、GHQに礼をするワークはとてもリソースとつながった感覚があり、いやしはない、と言っていたがある意味いやしを感じた。
KMさん
自分は愛国心の強い人間だと思っていましたが、日本と繋がっていないことが分かりました。先祖と繋がる方法を探していたのに、「日本」に無自覚だった自分に驚きました。
世代間で断絶している事とGHQの影響が結び付いている事に気付けて良かったです。
IMさん
今回参加出来て良かったです。前日、子供達に伝えてしまいました。すみません。
今朝、起きた時子供達を見て、今まで色々なワークをしても子供達は大丈夫と思う事はなかったのですが、子供達は大丈夫安心して信じていられると思いました。ありがとうございました。
TYさん
大阪から参加しました。初回です。普通の働きかけを行うワークショップのつもりで申し込んで違う形になるとわかった時は、自分の日程など動かせなくなっていたので、一旦がっかりしたのですが、逆に予備知識(友人の話など)のない状態でうけるつもりで参加しました。頭で受け取る知識や議論を体験できること、他の人の感じたものや、代理人として感じたものなど膨大で、おとし込むのに時間がかかると思いますが最後のセッションで、祖先、日本とつながる人が増えれば増えるほど外の影響がなくなる感じでした。ありがとうございました。
IYさん
今回このワークショップに参加したきっかけのひとつに家族、特に父親との確執の問題を解決したく参加させて頂きました。
今回ファミリー・コンステレーション自体を初めて受けたのですが、通常のワークのようなセラピストやファシリテーターに「~じゃないの?」と人から何か言われるよりもエクササイズの中で現状を客観的にみることによるほうが自分の腑に落ち、また、その問題と対峙していく姿勢がより強くなった気がしました。このワークに参加するまでは「戦争」というものはどこか自分とはかけ離れていた問題で、何故「今、家族の問題をみていくのに必要なんだ、できれば面倒くさいので、それをはずして、私の問題に係わることを直接教えてほしい」と思っていたのですが、この2日間、特に2日目のエクササイズをした時に父親の思いにものすごく触れた気がし、私は父親を大変毛嫌いしていたのですが、何故、幼い時に私に色々な強制をしたのか?何となくですが少し感じることができました。実は私の父親は、終戦時10歳だったのですが、今後の日本を支えていかなくてはいけないということで15歳で自衛隊に入隊し、家族と分かれ、孤独と、緊張感の中で戦ってきていました。私は、そのことを何も理解しようとせず、自分の人生を悲観しコントロールしようとする父親を嫌っていました。今回のことで、戦争のこととしっかり向き合いそして、もう一度両親と向き合っていきたいと思います。ありがとうございます。
MNさん
戦後、前の世代との断絶がおこり、 自分もその子供も連続性の一部であるという認識がないため親とその子供の世代(家族)で完結してしまう。連続していかないことが分かり目からウロコでした。ありがとうございました。
SMさん
色々な事を感じた2日間でした。 全く初めてのファミリー・コンステレーション、ビックリ!!でした。ありがとうございました。
Iさん
両親や祖父母から戦争の話は聞いていましたが、 改めて、日本人として真実を知ろうというきっかけになりました。日本に対しては悪いイメージ(戦争に対して)はあまりなく、祖父母からの話でも「日本は努力や技術・良い国」と聞かされていたので、色々と守ってくれていたんだなと思い感謝です。日本人としての良い部分をこれから沢山みつけていきたいです。そして、ご先祖様に感謝です。 ありがとうございました。
UYさん
戦争が自分に影響していることはうすうす分かっていましたが、一部分しかみてない(気づいていない)ことにきづかされました。
TNさん
思いもよらないことが、自分の根底にあることに驚いて、まだ、静まってない感じです。これから、静め所を探すのも、1番最後のワークのおかげでやっていける気がしてます。ありがとうございました。
FAさん
こんなにも、戦争、GHQの占領政策が自分に影響していると思わなかった。2日目(の午後)、何人かの方に、「昨日と全然違う。違う人かと思った。」と声を掛けてもらった。日本をもっと調べるという宿題に加え、自分の課題 (ドラマチックになりやすい。エネルギーに巻き込まれやすい。ちゃんとやっていると認めてほしい。→肚にもっと意識を!淡々とフツーにする) も、みえて参加してよかったです。ありがとうございました。
YHさん
教科書の中の話、映画の中の話 そう考えていた“戦争”というものがこんな形で今の自分に影響を与えているとは思ってもみませんでした。どこか遠い出来事だと思っていたのに、こんなに生活の中に入り込んできていてむしろ影響されていることに無自覚であることが怖くもあります。これから自分なりに調べて、自分の中の真実を見つけていきたいです。
Sさん
今後のリソース、キーになりました。 スタートではありますが、次世代へ伝えるものを しっかりと受取りたいです。
今、受取っていこうと改めて思いました。存在していたことすら知らなかったことに気づきました。
TSさん
とても興味深くdeepな体験でした。ひもで囲むワークでも起こることが色々ちがうのも深かったです。GHQと家族の問題だけを一緒に囲むことによりまだまだ気づきや探求が続くことを意図します。 どうもありがとうございました。
HTさん
2日間ありがとうございました。以前行なったことのあるエクササイズでも、今回体験し、改めて気付いたことが、たくさんあり、実りの多い2日間でした。 今回のテーマで40名以上の参加者が集られたというのも、驚きでした。
NNさん
個人のワークなしで、どんなセミナーになるのか不安と期待で一杯でしたが、盛りだくさんの2日間を終えてみると全員が均等に自分に必要なものを受取る機会を頂くことができ、とても良い2日間であったと実感しています。 小林先生、参加者として数々のワークを共有し、シェアしてくれた皆さん、セッティングの労をとってくれたスタッフの皆さんに心から感謝します。
Mさん
ずい分前に戦争は誰が悪いのか、なぜ起きたかを調べた事があり、その時の情報はすでに忘れてしまっていたが、今回また調べ直しという作業があり、ちょっとしんどかった。その時は、結局誰が悪いのか良いのかという判断をしようとしていた為 決着がつかず、疲れただけで終わってしまったが、白黒つけられる事じゃないという事で良いという気持ちでいたら楽になった 正しい事実を追いかけたいと思う。

2014年2月24日~26日開催
ヤコブ・シュナイダーのワークショップ
参加者より

40代男性
先日はありがとうございました。ファミリー・コンステレーションのワークショップには何度か参加してきましたが、今回のヤコブ先生のワークには驚き、感動しました。まず、部屋の雰囲気が最初から温かく、安心感がありました。先生の雰囲気のせいでしょうか。いったん、ワークが始まると、温かさの上に濃い安心感が加わり、完全にお任せして大丈夫なんだと強く感じました。自分の問題に働きかけていただいたときではなく、他の人のために自分が代理人をやったときに、その役をやっている自分を丸ごと信頼してくれてるように感じられたことが強く印象に残っています。また是非日本に来ていただきたいです。
30代女性
ヤコブ先生のワークショップではお世話になりました。最初、ヤコブ先生を見て、正直言って見た目はあまり貫禄がないというか、偉そうな風格をもっておられないと思ったのですが、コンステレーションが始まると急に雰囲気が変わって、頼もしい先生だと実感しました。今まで理解したくてもできなかったたくさんの問題が、今は少しずつほぐれていって、毎日いくつも謎が解けていくような気づきがあります。まだ体が着地していないような気もしますが、今回のワークショップで得た気づきをもって変化をおそれずに前へ踏み出していきたいと思います。

トレーニング経験者へのインタビュー

働く女性さん(企業管理職)

ファミリー・コンステレーションを学ぶきっかけを教えてください。
昔から心理学で私の問題が解決できるかと思い様々なものを試しました。
個人カウンセリングを継続して受けたことがありますし、グループワーク的なものは結構長い事やりました。
しかしぴったりくるものがないと感じていたときに、私よりもっと色々学んでいる友人に薦められたのがきっかけです。
ご友人がファミリー・コンステレーションをあなたに薦めたのはどうしてなんでしょうか?
私が家族にとらわれているのを知っていたからです。
ファミリービジネスと家族のことと自分の問題がごちゃごちゃになっていて、
全体的に重たい感じがしていた私の状況を友人は知って、割と強制的につれてきてくれました。
それは今でも本当に感謝しています。
初めてファミリー・コンステレーションを体験してどうでしたか?
ものすごくびっくりしました。
初めてワークを受けたときはファミリービジネスについて扱ったのですが、
こんな視点で物事を見せてくれるものは初めてだと思いました。
ものすごく救われた気がしました。
ファミリー・コンステレーションはビジネスの問題解決にも効果があるのですか?
大変効果があると思います。
ビジネス自体に問題があってそれに風穴を開けるのは、
そのビジネスをコントロールできる権限がある人でないと難しいと思います。
しかし、そうでない人も自分自身と仕事との関わり合いを客観的に見ることができるし、
自分が責任を持っているセクションの問題も見えます。
人間関係もすごく客観的に見ることができます。
私も何度も同期生の力を借りてコンステレーションの中で、自分のテーマを見せていただいてきました。
沢山のワークを経験させていただいた私の経験ですが、
私の場合、個人的な問題に効果が出るのには、ものすごく時間がかかったりしますが、
ビジネスのコンステレーションはすぐに効果が出ます。
本当に驚く程すぐに。
何度かトレーニングやワークショップで、ビジネスについて自分の問題を扱ったのですが、それぞれすぐに効果が出ました。
例えば、意図していないのに組織替えが起こったり、自分の仕事に新しい要素が加わったり、部署が変わったり、
コンステレーションで何か問題を扱うたびにすぐに効果が出すぎて、
一時期、ビジネスの問題を扱うのが怖くなってしまうほどでした。
私が個人の問題を取りあげると、自分がコンステレーションを受けてから効果を実感できるのに時間がかかったりしますが、
ビジネスに効果が出るのは早いので、ビジネスの問題があるなら早く扱った方がいいと思います。
人間関係だけでなくビジネス上のお金に関する問題にも効果はあるのですか?
お金に関してはすごく効果があると思います。
自分がお金に対してどういう概念を持っているのか?
お金とどういう風に係わっているのか?
お金に家族との関係をどういう風に投影しているのかがすごく分かるし、お金はすごく分かりやすいです。
ビジネス・コンステレーションにおいても利益はとても大切な概念で、
私が最初に受けたワークでも人間関係や会社の問題をみて最後に、
(ファシリテーターの)小林真美さんに「お客さんと利益の代理人をそれぞれ立ててください。」と言われました。
そこでお客さんと利益の代理人が手を繋いだのが、とても新鮮で今でもよく覚えています。
そして、お客さんの代理人が、
「私のことをまっすぐ見てくれているのは、この沢山いる人たちの中であなただけです。」
と言ってくれたのが私にとって大きな自信になりました。
継続して5回トレーニングに参加しているのはどうしてですか?
始めは自分の問題を解決したいという気持ちがありましたが、途中から理論を体得したいと思うようになりました。
ここ最近では、(ファシリテーターの)小林真美さんという人が見て感じている意識の流れというか、
日本人とか、世界とか、この世の中に対してのアンテナっていうのがすごい勉強になるし、
見ていて面白いというと言葉がいいのかわかりませんが、
私の人生や仕事の糧になると思っているので追いかけていきたい、そばで見ていたいというのが最近の動機です。
具体的にどんな体験をされましたか?
今迄コンステレーションのワークは数々受けてきたので、
ドラスティックな(はっきりとした)変化というのは今まで何度かあったと思いますが、
初めてのワークのときに受けた衝撃と、そのときに本当に救われたと思ったのと、
ハンターさんというドイツのファシリテーターが来日した時に扱っていただいたワークで、
亡くなった父との関係性を取り戻せたことはわたしの人生にものすごく大きなものでした。
視点が180度変わりました。
これからファミリー・コンステレーションを体験しようか迷っている方に一言お願いします。
悩んでいる時間はもったいないです。早くやるべきです。
早く始めれば早く効果は出るから、是非やるべきだと思います。

第2、第3、第4期トレーニング参加者より

臨床心理士
最初、すでにトレーニングに参加している友人からファミリー・コンステレーションのことを聞いたときは、正直言って眉唾物じゃないかと思い、冷やかしのつもりでワークショップに参加しました。しかし、実際に体験して、友人の言葉が本当だった、すごいセラピーと出会ってしまったと衝撃を受けました。
もちろん自分も学んでいきますが、この素晴らしさを広めていく手助けをさせていただきたいと思いました。
カウンセラー/主婦
自分のクライアントさんのために役立てたくて学び始めたのですが、それ以上に、ここで学んだ、家族に綿々と伝えられる愛の深さ、命の尊厳というものを、自分の子どもに心を込めて教えてやりたいと思うようになりました。
公務員
自分の仕事に役立てるための方法を模索するうちに、ファミリー・コンステレーションに行き当たり、これは避けて通れないと思うようになりました。最初はトレーニングの費用を高いように思ったのですが、毎回参加すればするほど、これはすごいことを教わっていると実感し、気がつくと前回のトレーニングは1日も休まず皆勤賞でした。
セラピスト
ワークショップの中でも理論を説明してくれたり、実例について解説してくれますが、それをトレーニングで聞くとこちらの本気度が違うせいか、ずっと一緒に学び続ける仲間がいるせいか、三倍も深く自分の中に入り、染み込みます。ワークショップとトレーニングでは受け取るものの重みが全然違っています。

5期特別プログラム・ファシリテーター養成コースを終えて

提出者:60代 男性 近畿地方
初めに、システミック・コンステレーションに出会ったのは、畦先生の講座であった。
そのときは、単なる一つのカウンセリングの手法程度に考えていたが、チェトナさんに、研究会などで来ていただき、そこでの展開を見ることが出来、これはすごいことだと感じた。
そこでその後すぐにあった、ワークショップに参加させていただき、いろいろな展開を、特にシークレットコンステレーションを見て、ぜひ学びたいと思ったのが、トレーニングに入ったきっかけである。
始めて参加した3期では、自分の問題を解決することを目標とした。この時は、まだ十分にシステミック・コンステレーションを理解できていなかった。いろいろな展開に目を奪われていて、なぜこういうことが起こるのか、システムについての理解は不十分であった。
4期では、3期での結果を踏まえ、システムについて学ぶことを目標とした。システムとは何か、序列とは何か、貢献すると言うことはどういうことなのかなどを学んでいった。4期に入った初めの時は、ファシリテーターになろうというつもりはなかったが、受けているうちに欲が出てきて、ファシリテーターをしてみたいと思うようになり、5期に参加した。
5期では、序列としてはどうなのか、何が忘れられているのか、何ともつれているのかに注意を払いトレーニングを受けていた。ファシリテーターの動きを観察しながら受講していたが、なぜ、そのような展開が出来るのかは、よくわからなかった。したがってそのままファシリテーターコースに参加しようと考えた。
ファシリテーターコースでは、自分がファシリテーターならどの様に取り組むかを考えながら受講したが、いつも違う展開であった。何度か、ファシリテーターもさせていただいたが、いつも最後まで行くことが出来なかった。関西の勉強会でファシリテーターをしたときも、うまくいくときもあったが、着地点を誤り、今できること以上に展開しようとして失敗したりした。
このコースと同時に6期にも参加することによって、自分の見えていなかった問題にも気付くことが出来、個人の問題を解決するには、歴史や社会的なことにも目を向けないとだめだと言うことがわかった。システミック・コンステレーションのトレーニング参加の前と後では何か違いを感じるかといわれれば、一番の違いは、大きな所から現象をみられるようになったことだと思う。もちろん、高所恐怖症が楽になったり、母親との関係が改善され、同じ夢を見なくなったり、いろいろな変化があり、自分が楽になったということは大きな変化ではあるが、視点が変わったことは、今後全てにおいて、いろいろな場面で役立つ変化だと思う。
カウンセリングをするに当たっても、この視点は重要で、その人の抱えている問題が、自分で解決できる現象的なものなのか、システム的な問題なのかがすこし判断できるようになってきている。
この間カウンセリングした鬱症状のクライアントの場合も、明らかに何か個人の資質的なものでないものを感じている。次回カウンセリングに来られたら、何か、システミック・コンステレーション的にアプローチをしたいと思っている。

今後学んだことについては、実際にカウンセリングの場面で使っていきたい。もちろんそのためには、まだまだ勉強を続ける必要もあるので、勉強会などに参加して、実際にファシリテーターの経験を積んでいきたい。特に人形を使ったワークは苦手であるので、十分に出来るよう、練習を積んでいくつもりである。また、自分自身が常に何かともつれていないかの点検する必要もあるので、おかしいと思ったら、自分のコンステレーションを立てることもしていきたい。同時に、ワークショップなどにも参加し、ファシリテーションのやり方を学んでいくつもりである。

自分にとってシステミック・コンステレーションとは何かということについては、うまくいえないが、自分にとって生きていくのが楽になるもの、自分の本質を客観的にみられるものだと思っている。また、今後も勉強していきたい、物事の本質に迫る大変重要な方法だとも思っている。

長い間ご指導いただきありがとうございました。まだまだ学ばねばいけませんので、今後ともよろしく御願いいたします。

提出者:30代 男性 中部地方/私にとってのコンステレーション
« コンステレーションによる変化 »
コンステレーションのトレーニングに参加し始めてから約5年、その間、様々な変化を体験してきたが、その中でも、先ず思い出すのは、現在の家族についてである。
当時の私は、自分の内面に向き合うことをスタートしてはいたものの、年齢から見れば明らかに幼く、自分のことで精一杯であり、子供を育てることはもちろん、結婚することや、結婚生活を継続していくことは難しい状態であった。
しかし、トレーニングをとおして、親と繋がり、夫婦のあり方や子育ての意味を学んできたことにより、気がつけば、結婚生活は4年を経過し、二人の子供もすくすくと成長している。
具体的な変化としては、夫婦喧嘩の回数が激減したことや、子供への躾について迷いがなくなったことがある。
次に思い出すのは、仕事である。
当時、私は、「自分にもっとあった仕事がある」「好きなことを仕事にしたい」「人に喜んで貰える仕事がしたい」等と考え、現在の仕事を辞めようと考えていた。
しかし、トレーニングを続けてきた結果、インフラ事業という公の仕事に対し、誇りと想いを持って当時からの仕事を続けることができている。
また、以前は、社内において自分の権利についてばかり目が行き、主張をしてきたが、現在は、責任ということについて意識し、行動することが非常に多くなった。更には、上司や先輩とのトラブルも多くあったが、現在は、良い関係性の中で仕事ができている。
これらの明らかな違いは、トレーニングの中で、親より小さくなり、親の人生を尊重できるようになったことに加え、日本と日本の歴史に私が繋がったことによるものと思っている。« 今後のコンステレーションの活用 »
家庭がより良いものとなり、子供たちが本来の力を発揮し活躍できるよう活用するのは言うまでもないが、現在の仕事において活用することにより、会社をとおして日本に貢献したいという想いが最も大きい。
具体的には、若手社員の育成において、従来の方法では効果が見込めず、職場の上司や同僚が限界を感じている姿が散見される。また、人によって価値観が大きく違う現代において、チーム力を高めることは非常に難しい。
これらの問題に対して、コンステレーションを直接用いるという視点だけでなく、システミックな物の見方、日本や日本の歴史を私自身が持っていることによって、より良い変化を生み出していきたいと考えている。そのように考えると、日々の生活の中でもファシリテーターとして、その場その場の必要に応じて、場のエネルギーをより良い方向に促進していくことが可能であるため、このような視点を常に持って活動したい。
これらの日常での活用を基本としながら、将来的には、経営者やリーダー向けにコンステレーションのワークショップを開催していくことで、広い層にコンステレーションを届けていきたいとも考えている。

« 私にとってのコンステレーション »
現在の私にとって、コンステレーションとは土台である。日々のあり方や考え方を始め、様々な場面においてコンステレーションが全ての土台になっていることを感じている。その厚みは増す一方であり、コンステレーションを知らなかった時の生活に戻ることを想像することも難しい。
よって、現状に満足することなく、今後も活用と探求を続けたい。
以 上

提出者:40代 女性 近畿地方/「私とシステミック・コンステレーション」
漠然とした生き辛さをずっと感じていました。
自分にトラウマがある事にも気づかず、なのに罪悪感、自殺願望、無力感、劣等感などなど、ネガティブな感情やネガティブな思考に支配されていました。
自分なりに心理療法を学び本を買いあさり自分なりに色々努力はするものの本を買っても読むことが出来ず本棚に収まらない本や資料が部屋のいろんな所に積み重ねて埃のかぶった状態で置いてありました。
そんなある時セミナー会社に勤めてる友達からファミリー・コンステレーション(システミック・コンステレーション)を教えてもらいました。
セミナー会社に勤めてる友達の紹介というのもあって、またその友達を信頼していた私は運良くファミリー・コンステレーションに出会うことが出来ました。
直感に導かれトレーニングに参加し、よくわからない欲求のまま突き進み自分の働きかけや代理人の経験、数々のエクササイズを通じて徐々に凍っていた自分の内側の何かが溶けていきました。
最初は等身大の自分がどういうものなのかわからず、また居心地の悪ささえも感じていました。
親より大きくなってスーパーヒーローになろうとしている…。
世代を超えたトラウマを引き受けようとしている…。
魂は時間や空間を超え自分の人生をなげうってでも、家系の誰か自分にとって重要な誰か大切な誰かを助けようとしている事をワークを通じ体感を持って知りました。
自分の人生の生き辛さの奥に愛がゆえの魂の存在を知ります。
また代理人を経験することで自分以外の人生の一部を自分の身体を通じて代理人の身体感覚、感情を感じました。その体感から得るものもとても大きく自分のこれからの人生の助けになりました。
愛がゆえになかなか手離すことの出来ないスーパーヒーローのつもりの私は、もつれてる誰かにとって役に立っているのではなく、時に感情を奪い時に感じる機能を奪い人生を奪い父親を奪い母親を奪い子供を奪い…。
手離してくれた方が楽になる体感…。
自分の人生を生きよ!と教えてくれます。
そのような体感が手離す事を徐々に楽にし等身大の自分へと近づけてくれました。
気がつけば現実世界の私も知らぬ間に変化がありました。自分を責める事が減り親の有り難みを感じ自分の弱さも受け入れられるようになりました。良い意味で自分と他人の区別がつくようになってきて相手の何かを引き受けようとするのではなく、相手を尊重するということが出来るようになってきました。
自分が帰属する土地、国の繋がりも感じました。
今出来ることを精一杯やり丁寧に日々を過ごす。その姿を次世代に繋げたいと思います。
提出者:30代 男性 中部地方
【テーマ】
自分がシステミック・コンステレーションのトレーニング参加の前と後では何か違いを感じるか、感じるとしたら自分の何がどのように変化したか、今後、学んだものを誰にどのように活用していくか、自分にとってシステミック・コンステレーションとは何か【本文】
システミック・コンステレーションを通して学んだことは多くあるが、今振り返ってみて、大きく残っていることは「善・悪」の判断の違いである。
世の中を渡っていくとき、日常に生活しているとき、私たちは多くの「善・悪」の基準、それも、時と場合によって変わるその基準を元に活動している。しかしその基準は、システムという括りの中では、全く当てはまらないどころか存在していないといっても過言ではないことが、驚きと共に私の中に残った。
そしてもう一点、次に残っていることは、「私なのか、私でないのか」ということ。
それこそ私たちが普通に生活していれば、今私の気になっていることから私が選択する行動、そして私に起こる嬉しいことから問題まで、様々なことが、実は「私」という枠には収まらない、システムによる影響がとても大きいという事が分かった。
これは、漠然とは感じていたし、システミック・コンステレーションを知り始めた当初から、何となく分かっていたことではあったが、トレーニングが進むにつれて、それも私自身が問題を取り扱ってもらった時に、深く腑に落ちた感覚があった。今生きている家族の影響だけではない、命の流れとしてある家族システムに関わった人々からの影響も、大なり小なり存在していることは、私という存在が私であるために、どれほど多くの人々から影響を受けているのか、改めて考えさせられた。
最後にもう一点は時間の流れである。システムを見ていくと、今なのか過去なのか、過去は過去でも、自分が生きている間なのか、世代を大きく遡るほどの過去なのか、それらが「今」の私たちに大きく影響していることか感じられた。しかし、このレポートを書きながら、時間が影響していることは理解しているのだが、詳しく書こうとすると、まだ簡潔に書ききれない自分に気づいた。それについてはこれからもう少し考え、理解していきたい。
この他にも、もちろん多くの発見や理解があったが、以上の点が大きく私の中に残っている感覚、残っている事である。
日常生活の中、これらの感覚を理解して暮らしていると、私が今ここで感じている感情、今私がここで考えている事、今私がここで起こしている行動は、一体どこから来ているのか、何に動かされているのか等と疑問に思うようになり、その疑問を解消するべく、日夜調べたり、紙や人形を使ってコンステレーションを立ててみることをしている。
また、一昨年、ボーイスカウトで指導した後輩が自ら命を絶った。それを聞いたとき、彼の中に何が起こったのか、彼のシステムには何が起こっていたのか、そして、彼をそのように行動させた力とは一体何だったのか。先祖から連綿と受け継がれてきた命の流れを絶たねばならないような力動とは恐ろしいほど強いものであるが、しかし、それを扱っているのがシステミック・コンステレーションであり、ファシリテーターであると考えると、ファシリテーターとしてクライアントのシステムを扱う時は、より慎重に、そして尊敬と畏敬の念を持って働きかけをしなければならないと、改めて理解し、自分の中に落ちて行きました。
これからもどうぞ宜しくお願い致します。

第6期ファシリテーター養成コースを終えて

提出者:40代 女性 近畿地方
思い出し、思い出し、コンステレーションを通して受け取ることができたことを書きだしました。
書き終わって思ったことは、「小さくなって、自分の居場所にいることができるようになって、よかった。」ということ。
もっとも印象的なのは、滞っていたエネルギーが自分の中に流れて来た時の感謝と感動です。
やさしく、あたたかかったです。
どうしてもこの感覚は、文章にはなりませんでした。
そして、自分の家族と先祖代々だけでなく、一緒にトレーニングの日々を過ごした皆さまと、そのご家族、その後ろの先祖代々の人々にも、学ぶ機会をもらっていたということにも思い至りました。【わたくしにとってのコンステレーション】
● トレーニング初期には、苦しさから解放してくれる存在でした。分断していた存在とつながり、自分の居場所に戻してくれたのがコンステレーションでした。
● トレーニングを重ねると、命と人生の美しさを教えてくれる存在となりました。先祖や父母の愛情がいつもあることを教えてくれました。
● さらにトレーニングを重ねると、自分に与えられた資源を感謝して使うことを教えてもらいました。
● さらにさらにトレーニングを重ねると、GHQの戦後占領政策の影響を知り、感じ方、考え方、行動に吟味を行うために存在してくれています。
● 今は、生きることの土台となっていると感じます。感じるとき、考えるとき、選択するときに、体に染みたものを感じながら行います。
● そして、コンステレーションは、深い視点をもたらしてくれて、私が歩む人生を照らす光となってくれています。

私がもし、チェトナ先生やコンステレーションに出会って指導を頂いていなかったら、どうしてこんなに苦しいのかもわからず、すでに人生が終了していたかもしれないと思うことがあります。
へリンガー先生の発見とチェトナ先生の日本国でのご活動にひたすらに感謝するのみです。
そしてへリンガー・インスティテュート・ジャパンへのご縁を持つことができたのは、佛様、先祖、先達の僧侶の皆様のお導きだと手を合わせます。

【今後学んだものを誰にどのように活用していくか】
● 過去にも現在にも、たくさんの方々が使命を静かに全うされることで、私が生き延びたという感覚があります。今後、一番に、私が私の与えられた人生を健やかに朗らかに生きていくことが大切だと考えています。自分の人生を生きると宣言したのですから。
● システミックコンステレーションで教えられた視点は、仕事の場での洞察を深いものにしてくれます。私が教えている学校で、いただいた視点を活用してまいります。特に近年受講生たちの混乱度合いが増す一方です。
それにつられるかのように、職員、講師も情緒が安定しなくなる方があります。これからも私が学び続けることで、場の安定が確保されていくように努めたいと考えます。
● 将来的には、浄土教の教えのある場所で、(先祖供養を大切にする宗派で)、先祖と私たちのつながりのあたたかさを、命の流れを、コンステレーションでたくさんの方々に体験していただけたらと考えています。
● また、かつての私のように居場所を間違え、国の歴史をしらず、あらゆるものとつながりを分断され、生きるのが苦しいがどうしていいかわからない。そうした方々に、ファミリーコンステレーションの存在を知っていただき、働きかかけを受けることができ、国の歴史を知り、つながりを回復する場所がつくれたらと考えて居ます。「何よりもクライアントの安全が優先される」「尊重と敬い」そうした、大切なことがある場所がつくれたらと考えて居ます。
● ただ、まだ、わたしがいただいた命で何をやるべきなのかおぼろげです。これからもずっと研鑽を続けることが大切だと考えます。その中で、私の役割があるなら、それに力を注ぎます。

自分の中で、まだいろいろと問題やテーマがあって、それが、なだれてくるような感じや巻き込まれるような感じが時々します。
まだこれからも、自分の中身を通して、勉強を続けたいと思っています。

【コンステレーションによる変化】

コンステレーション・トレーニング参加の前 コンステレーション・トレーニング参加の後
呼吸が浅く、いつも体が緊張していた。
体がいつも冷え切っていた。
深く落ち着いた呼吸に変わっていった。自分が緊張して居ることやリラックスしていることに気が付ける。冷え性が改善されて、体に熱を感じることができるようになった。
時空が混乱していた。自分の年齢や年月の経過、日付に無頓着であった。世界地図や日本地図、かつて暗記したはずなのにわからなくなっていた。地図は見たくないものであった。空間はどんなところでも狭さを感じていたように思う。 時系列の混乱が正されてきた。
世界地図や日本の地図を見ることに興味が出ている。
窮屈さを感じることが激減した。
運命でさえ変えることができる。
運命に立ち向かうという考えに賛成していた。
運命に頭を下げることに衝撃を受けた。そして、自分に与えられた命と肉体、時間、機会に感謝が湧いてきた。
自分の適切な居場所と大きさで今いるか?の確認ができるようになってきた。
魂が澱み、芯まで汚れて居たように感じる。 じょじょに魂が澄んできた感覚がある。
なにか社会のことがらがどんどんわからなくなる感じがあるのに、何をどうしたらいいのかもわからない。
理解しやすいことを鵜の身にして、ますます洗脳が深くなった感じが、思春期以降どんどんひどくなっていた。
頭のモヤが少しずつ晴れてきて、明晰さを取り戻せるように自分を訓練できるようになった。
自分が今モヤにつつまれているか、晴れてきているのかの判別をつけられるようになった。
無秩序の混とんの中であがいていた。
やればやるほど、悪い方向に行っていた。
この世界には見えないシステムが存在し、秩序だっていることに衝撃を受けた。そして帰属を取り戻すと安らぎ、穏やかで、力が湧いてくることに泣けてきた。
感謝する感じが取り戻せた。
人間や社会、世界に失望していた。
貧しい人間観、世界観の中にいた。
生命の美しさに気が付けるようになった。
人間の健気さに心打たれた。人間が好きになっていった。
自分の五感で感じて居なかった。 自分の五感がじょじょに戻ってきた。
家族、家系、生まれた土地、国、職場、学校、あらゆるものとつながりを絶って生きていた。 家族、家系、生まれた土地、国、職場、学校、あらゆるものとつながりを取り戻すことができた。
しっくりくる感覚、安堵と沸き上がる力を感じることができた。
自分ひとりで生きていると思っていた。
いつも生存競争の中に生きていると思っていた。
多くの存在に支えられて、自分がここに生きていることが実感できた。様々な存在がわたしを見捨てず、気が付くまでまってくれたことに、ただただ感謝している。
助け合って生きるということがわかってきた。
結局人間はひとりなのだと思っていた。
みな自分のことだけを考えて生きているものと錯覚していた。
誰にも、その人を大切におもう後ろの人びとがいることを知った。私心をおいて、公に尽くす人びとの存在があることにきがついた。 「使命」いただいた命を、何のために使うのか。
その意味を分からせてもらえた。
与えられて当然、あって当たり前という傲慢さの中にいた。 先人の恩恵、社会の恩恵、家族の恩恵に思い至るようになってきた。今ここに存在するモノが、だれがどんな思いでこしらえて、継承してきたのか、その人数と時に膨大な時間の流れがあることに思い至るようになった。
父母、祖父母から伝えられた精神を価値のないものと思っていた。 大事な事は父母、祖父母から、佛様から伝えられていたことが思い出せた。
いつも浮ついて、焦って、忙しくして、疲れていた。
何も感じようとせず、何も考えようとしていなかった。
だいぶん落ち着いた気持ちで過ごせるようになってきている。
感じること、考えることができるようになった。
体の痛み、疲れがいつもあり、朦朧として生きていた。苦しかった。何のために苦しんでいるのかもわからなかった。 快適な日が増えた。未来について堅実に考えて、今すべきことに少しずつあたれるようになった。
浮ついて情報に踊らされていた。 必要な学習ができて、何かしら落ち着いて様々なことが吟味できるようになってきた。
視野が狭く、暗く、平面的な感覚があった。 視野が広がり、明るさがましたように感じる。
立体的にものが見える感覚がある。
わざわざ救いのない世界観の中にいた。 事実と自分の妄想をわけることができてきた。
自分か自分でないかもわかるようになってきた。
仏教の教えや神道の恩恵がわからなくなり、単なる美術品や観光スポットとして自分の中でどんどんと形骸化していった。 神仏がわたくしにとっていかほど大切な存在かを思い出すことができた。わたくしの命や肉体は、神仏のお使いとして動くためにあることも理解できた。
罪悪感、無力感、劣等感、自己破壊的行動がひどかった。
さらにそれらを隠すために、優越感や自己効力感を得ようと必死だった。
ただある。そしてつながってあるときに、否定的な感覚はないことに気付いた。私の背後にいる多くの人々が私を安定させて、前へと押し出してくれることに感謝できるようになった。
一日を感謝してただ大切に生きることができるようになった。
正しい歴史を知ることの大切さに目覚めた。
狭い世界観から来る善悪に振り回されていた。 システミックな視点を学び右往左往の回数が減った。
ものの見方の土台を得た。
誰かの感覚や思いを背負い、自分を見失っていた。 自分なのか他の誰かの感覚なのか、感じ分けることができるようになってきた。私が私である自信が感じられた。
助けようとして、自分以外の誰かになろうと必死だった。ご先祖様の偉大さに思い至らず、代わりになろうと必死だった。 私の資源も先祖からいただいたもので、それは存分に生かすべく与えられたのだということがわかった。この福分を感謝して、秩序の中の私の居場所で、大いに生かすことが大事なのだと思った。時系列がはっきりし、すでに終わったことに力を使うことが止まった。
生命、人生に価値がないと思っていた。 生まれてくること、生きることの美しさと力強さが初めて見えた。
歴史を知らず、知らないうちに国、家族、歴史、先祖、先人を踏みにじっていた。 自分が、どんなに大切に思われていたのかを思い知った。たくさんの恩恵がもたらされていることに気付かせてもらった。
GHQの戦後占領政策の工作に使われていたことに気が付かず、自分、日本、家族、社会の破壊工作に加担していた。 私が陥っていた罠に気が付かせてもらえた。
学ぶ機会を与えられた。改善の機会を与えてもらった。
わざわざやっかいな人間関係を選んでいた。 やっかいな人びとがいなくなるか、やっかいでなくなるかしていった。人間関係に苦労がなくなった。
女性であることを完全に忘れていた。
女性らしさに価値がないように感じていた。
女性であることを思い出してきた。綺麗なものに心惹かれてよいのだという許可がおりた気がする。
助け合うということは、自分一人が苦労させられ、自分一人が働くのだと思っていた。 そうではなかった。
助け合うということがやっと少しずつわかるようになってきた。
以前の人間観、世界観は貧しかったと思う。 集合無意識という世界を実感することができた。
人間と魂の凄さに驚愕した。
いろいろなエネルギーや状況に振り回されてきた。 川の流れを見つめる視点を教えていただき、思考や感情の濁流にのまれることが減った。
仕事で、逸脱行為が多かったように思う。 仕事において、目的、役割、立場、行動と内容を確認して動けるようになった。
気が楽になり、仕事を楽しめるようになった。
いつでも人から厳しい評価を向けられているような気がしていた。苦しかった。 自分の中で、自分を見るための確認基準や感覚がある。
たとえば、教えていただいた「真善美」など。
自分のできている点、不足している点をただみて、自己の向上につとめていけるようになった。
政治や思想を遠ざけていた。
国、歴史、先人の偉業について無関心であった。
国、歴史を知ることが、よりよく生きるためにいかに大切かを感じることができた。日本の先人とそのあらゆる業績が尊いのだと実感できた。そのことは、日々の小さなわたしの営みに誇りを持たせてくれた。
天皇陛下、皇室がいかにわたしたち日本国民の安定のために重要かが、やっと理解できた。ありがたいです。
荒れてすさんだ生き方をしていた。
命の尊厳も人生の美しさも、ただの文字であった。
己の肉体と命が大きな流れの中にあることへの感謝が湧いた。
提出者:30代 男性 中部地方
私にとって、ファシリテーター養成コース(第6期)は再受講だった。
以前にも受講しているというリラックスした気持ちと、しかし、今回は一体何が起こるのだろうか、という、ある種の胸の高鳴りを感じながらの受講であった。
そこで体験したことは、私の人生の中で、最も大きな衝撃を与えたと言っても過言では無い。
次から次へと目の当たりにされる自分の置かれている状況、そしてそれを取り巻く日本の歴史、家族の歴史、GHQの占領政策・・・
改めて、自分がファミリー・コンステレーションに出会った頃を思い出してみれば、コンステレーションで起こる現象、見せられる現実に半信半疑であり、そして、その心持は、実はファシリテーター養成コース(第5期)を 初めて受講した時でも同じであったように思う。視点を変えれば、自分の問題に対しファミリー・コンステレーションで働きかけを受けたのだから、これが真実であれば、実生活では何もしなくても事はうまく運んでいくだろう、その程度に思っていた。
しかし、現実はそう甘くはなかった。
確かに、働きかけを受けることによって、今の状況ははっきりするし、無意識のレベルで変化は起こっているだろう。だからと言って、それに胡坐をかいて良い状況はどこにもなかった。胡坐をかくどころか、働きかけを受けた後、自分がその問題に対して、どのように取り組んでいくかこそが大切なのかもしれないと思い始めた。
トレーナーでありファシリテーターを勤められるチェトナ小林は、「自分が働きかけを受けたら、そのことは3日は喋らないように。もしも3日経っても喋りたかったら、更に3日我慢しなさい」と言う。これは、コンステレーションで受けた働きかけによるエネルギーの変化を、自分の中に確実に落とし込んでいくためであり、それを喋ってしまう事は、そのエネルギーを外へ発散してしまうようなものだからダメだ、という教訓のようなものである。しかし、それを守ってさえいればよいのかというと、場合によっては違うのかもしれない。
ファミリー・コンステレーションによって明るみに出る自分の問題は、掘っても掘っても、働きかけを受けて受けても、まるで底がないかのようにいくらでも出てくる。確かに、トレーニングを一通り受講し、その中で働きかけを受けていれば、「自分個人の問題」としては、ほぼ出尽くすだろう。しかし、ここから先が問題であり、ここから先に進もうとする人にとっては、大きな試練が待っている。
ここから先に見えてくるものは、自分が自分という枠に収まらず、その地域の、その国の影響を如何に大きく受けて生かされているかという事実であり、そしてそれがあまりにも大きく、場合によっては、何故自分にそんな影響が与えられているのかと、知ってしまった自分を呪いたくなる瞬間さえある程である。
しかし、その試練を乗り越えるための作業が、働きかけを受けた後どうするか、に有るのかもしれない。
そのような働きかけを受けた後は、それを噛みしめ、自分に足りない知識や経験を増やすため、日々の学びが欠かせなくなってくる。それはまるで、小さな子供が、日々の生活の中でたくさんの知識を得、経験を積んでいくかのごとくである。それを経て、初めて、自分がそこに居る意味を、自分というものの素晴らしさを真に理解し、そして自分を取り囲んでくれている状況が、どれ程自分というものを慈しみ、愛し、尊重してくれているかに気付けると確信している。
自分を知るために、自分を取り囲む状況を知るために、そして、それを知った自分が、周りを愛し、慈しみ、尊重し、更にそれらを広めていくために、私はまだまだ学び続けていく。
提出者:50代 女性 中国地方
1.システミック・コンステレーションのトレーニング参加の前と後で何か違いを感じるか。
感じるとしたら自分の何がどのように変化したか?この3年間のトレーニング(3期のトレーニングも合わせると約5年間)の間にはとてもたくさんの変化があり、一つ一つを書きだすことは困難ですが、一番大きな違いは、自分が一人で生きているのではないという感覚が強くなったということです。

これまで私は、常に居場所のない感じや誰にもつながれない感じに悩まされていました。また、自分の感受性の強さが重荷となって、幼少時には自閉症を疑われるほど自分を閉じていました。学生時代には、人と居るのが辛くて引きこもっていた時期もあります。大人になってそれなりに周囲に適応できるようになりましたが、漠然とした不安や孤独感、自信の無さは消えないままでした。
それが、トレーニング中のコンステレーションやエクササイズを通して、漠然としたイメージとしてではなく、確かな体感覚として、どれだけ多くの存在に支えられているかを体験できたことで、自分が大きな流れの一部であり、多くの存在に支えられて「今在る」ということをやっと感じることができるようになりました。
特に、今回のトレーニングにおいて、GHQの占領政策や共産主義の影響に気づくことができたことが大きな変化を生んだのだと思います。 歴史や政治に対する嫌悪感や抵抗感があって最初は戸惑いましたが、システミック・コンステレーションでは、個人的な信条とか善悪の判断を越えたところで、眼の前に現れる現象を体験できるため、素直に受け取ることができたのだと思います。
トレーニングに参加していなければ、このことに気づくこともなく一生を終えていたと思います。
今でも強い影響の中に居ますが、トレーニング中に体感した(占領政策の)霧の中に居る時の感覚と、初めて霧が晴れて目が開いた時の感覚の違いを忘れないで、眼の端でそれらの影響を見張り続けながら前に進んでいきたいと思います。また、今回のトレーニングにおいて、「日本」や「神道」とのつながりを思い出すことができ、とても感謝しています。自分の中のとても大切で大好きな根っこと切り離されていたことが、こんなにも自分を弱くさせていたのだと改めて感じました。

2.今後、学んだものを誰に、どのように活用していくか?

まずは自分自身の人生に、そして、家族との関係に活用していきます。そして職場で出会う方々との相談に活かしていきたいと思います。
先日、職場の上司からこの1年を振り返ってのお手紙をいただきました。その中で、私の相談者を迎え入れる気持ち・姿勢に感心したとほめていただきました。また、「あなたの相談を見ていると、この人はきっといいことも悪いことも人生で相当経験してきているのだろうなと思った」と言われました。
今までの私であれば、ほめ言葉を受け取ることができず、すぐに自分はだめだと言ってしまうところですが、今回は素直に受け取ることができました。トレーニングで教えていただいたファシリテーターとしての在り方が、少しずつですが身体に浸透してきているのだと思ったからです。等身大に近付けば近付くほど、父や母やご先祖様、英霊の皆様や天皇陛下、日本という国や神道など、多くの支えを受け取ることができること、自分が一馬力で頑張るのではなく、全ての皆様の経験や叡智を自分と言う媒体を通して活用できるということを前より感じられるようになりました。私にとって重荷だった感受性さえも、つながりの中では有効な道具になると感じています。
今はまだ、この5年間の学びを日常生活の中で消化していくので精いっぱいの感はありますが、自分が等身大になっていく学びはずっと継続していきます。
また、昨年から仕事で刑務所に行くようになって、刑務所ほどシステミック・コンステレーションと瞑想の必要な場所はないと感じています。今は制限のある枠組みの中での関わりしかできませんが、いつの日か、刑務所の矯正プログラムの中にシステミック・コンステレーションと瞑想が導入されることを願っています。そして、その時にファシリテーターとして関われる自分になっていたいと思いました。

3.自分にとってシステミック・コンステレーションとは何か?

私にとってのシステミック・コンステレーションとは、自然(愛の)法則がこの世界でどのように作用しているのかを、人々が五感で感じられる形で見せてもらえる特別に許されて開かれた「場」です。
そこには、時間も空間も超越した、人々、あるいは土地や国と言った人間以外の存在も含めたすべてのものの「愛」や、善悪の判断も越えた「尊重」や、運命に頭を垂れる「謙虚さ」があります。
言葉ではうまく説明できませんが、私はそこに顕現してくる世界が大好きで、魂が喜びに震える感覚と同時に畏敬の念も感じています。 瞑想も私にとってとても大切なもので根っこは同じもののように思います。自然法則を身近に感じることができるシステミック・コンステレーションと瞑想は、これからも私の人生と常に一緒にあると思います。

※最後に

チェトナさんがご自身の体験を通じて、身を削りながらもたらして下さる知識のおかげでここまで進んで来れました。
本当にありがとうございました!
そして、助手のMさん、一緒に参加した皆様、ありがとうございました!
これからも学びは続けていきますので、よろしくお願いいたします。

提出者:40代 女性 関東地方

システミック・コンステレーション・トレーニングに参加して変化したこと、また今後どのように活用していくか。

私のシステミック・コンステレーションとの関わりは約十年前が始まりである。初回は問題への働きかけを受けず代理人をやるだけとして参加した。何が起こっていたのかよくわらからなかったが、すごいことが起こっていると感じたことを覚えている。3回目のワークショップ参加で自分の問題についての働きかけを初めて受けた。内容は父の双子の妹の一人(1歳児に死亡)のことで、この叔母の事は働きかけを受けるための情報収集で初めて知った。その後、それまで何となく触れてはいけない空気感があった父方のお墓参りに初めて行くことができた。
2回目の働きかけは母方祖母と「家」の関わりであった。その後は年1回から2回程度ワークショップに参加し働きかけを受けた。覚えているコンステレーション・ワークは母方祖父の抱えていたものについて働きかけるものだった。最初、他のワークショップ参加者を家族の代理人として立ててみたが、その場の空気が重くなり、代理人の負担が大変なため中断し、人形で再度コンステレーションを立て直すという経験をした。
ワークショップに参加する中で、一番影響が大きいと感じた自分のコンステレーションは、自分が幼稚園の年長時に、兄の交通事故で手が回らないため人の家に預けられていた時のことであった。私にとってこのコンステレーションでの気づきはとても大きく、変化があったものなので、これをきっかけに変化したことから振り返ってみたい。

1.年長時に預けられていたことについてのコンステレーションで何が変わったか。
(1)アトピー性皮膚炎・皮膚の改善
預けられていた時のことについて働きかけを受けたあと、半年かけてアトピーが劇的によくなった。皮膚自体の質が変わっていった。それまでは皮膚自体が薄く外的刺激に簡単に反応していたが、皮膚自体が健康に強くなっていく感覚であった。自分以外に鍼の先生である間さんにも指摘された。皮膚が半年くらいかけて変わっていく過程を自分でも気持ちの変化と共に感じた。
(2)部屋が片付けられるようになったこと
それ以前は物が溢れた部屋に住んでおり、自分のことを片付けられない人だと思っていた。物があっても何かが足りないと感じ、物を買い、増やし続ける生活していた。物が増えると収納するための物を購入し、それでも収納しきれない物にあふれた部屋で生活していた。
しかし、このコンステレーションによる働きかけを経て不要だと思うものを捨てられるようになった。いろいろな情報を手にして片付けることに取り組み、1年半後には片付いた部屋に住むことができるようになった。また物を購入する時に、本当に自分に必要か考えることができ、不要な物を買ったりすることが減った。また片付いた部屋で編み物をする喜びを思い出し、編んだものを人にあげたりすることができるようになった。
(3)トレーニングに参加しようと思えたこと
部屋が片付くと自分の人生について考えることができるようになった。自分の人生を考え、結婚のことも考えるようになり、それまで人に勧められても乗り気でなかったが出会いを求めて活動するようになった。その中で自分の問題に気づき、それまで何度か誘われても参加しようと思えなかったトレーニングに参加しようと思えた。そして6期の基礎コースが始まる直前の3月にあったワークショップでチェトナさんから「参加した方がいいと思う」と声をかけていただいたとき、「はい」と素直に答えることができ、4月からトレーニングに参加することとなった。

2.トレーニングに参加して変化したこと。
(1)日本人である体感を得たこと、近現代史を学ぶきっかけをいただいたこと
トレーニングに参加して、自分が日本から分離しており、それゆえに辛いこと、それでも日本に支えられていることをさまざまなワークや働きかけを通して体感させていただいた。またトレーニング中に参加した「戦後世代のためのワークショップ」を経て、熱に浮かされるように日本の近現代史を勉強した。自分ではよく分からない力に動かされ、いろいろな動画を見たり、本を読んで、沢山泣いた。そして日本を好きで良いと思えるようなり、日本がすごく好きであると感じるようになった。もともと神社が好きであったが、私にとって日本と神社が一つにつながっており、日本とつながるために理由も分からず神社にお参りしていたのだと感じた。
また近現代史を学ぶことで祖父母達やその世代の方々の凄さがわかった。そして、その子孫であることに誇りを持つことができ、恥じないように生きようと思えるようになった。
(2)過去に受けたワークの意味がより深められたこと
①幼稚園の年長時に預けられていたときの働きかけについて
トレーニング3年目のファシリテーター養成コース最終回「トラウマワーク」を受講し、預けられていた時の働きかけがトラウマワークに近いものであったのだと感じた。死に直接結びつく体験ではないが、幼稚園の年長5歳の時に3ヶ月間、預けられるという体験は私にとり、とても強烈な体験であった。またそれは25歳頃に突然思い出した記憶で、それまではすっかり忘れていた記憶でもあったことを思い出した。
また、基礎コースの最終回の「遮られた親への動き」のワークで、預けられていたときについてのコンステレーションで感じた「両親に受け止めてもらう事」を再体験することができた。再度体験することで、過去にすでに感じた感覚・感情をより自分の中に落とし込むことができた。
②一番初めに受けた父の妹が1歳の時に亡くなったというコンステレーションについて
養成コースの最終回で行ったコンステレーションは、一番初めに立てたコンステレーションと同じ父の妹に関連した内容であった。しかしそこでの働きかけで受け取ったものの質や理解の深さは以前とは異なるものであった。同じ事柄を取り扱ったとしても、そこで受け取れるものが違っていた。父の妹が死んだとき、祖父母が体験している時代背景を全く知らないままで受け取るものと、近現代史を勉強した上で、終戦の年の4月に起こった事であるとかみしめて受け取るものは全く違っていた。
また、今回の働きかけの後、父の妹が死んだとき祖父母が今の私より若かったこと、兄が交通事故で私を預けていたとき両親が今の私の年齢より若かったことに気がついた。頭では分かっていたが、そのことが明確に現実感を伴って腑に落ちる感覚があった。20代30代という年齢で何をどこまで受け止め対処していたのか。いまは素直に祖父母や両親が、その時にできるベストを尽くして、生き残ってくださったことに頭をさげることしか出来ないと感じている。
(3)女性であることに違和感がなくなったこと
今、女性らしい格好をする事が楽しい。化粧を習ったりもした。今まで、女性の体であることに違和感を持っていたことに気がついた。以前は女性として着飾ることに抵抗があった。
(4)自分の立ち位置を体感・軸を感じることができたこと
トレーニングを通して一番変わったと感じられることは、自分は過去から真っ直ぐにつながってきたものの先端に、「支えられて」「いる」ということを感じることができることである。そのしっかりした体感を作るためにトレーニングに参加し、また今もそれを強化するために、システミックコンステレーションのワークショップや勉強会に関わっていたいと感じている。
そして、その体感を感じられるとき、自分は大丈夫なのだとわかる。また同時に後ろから前に進むように促されているようにも感じる。
今回、このレポートを書くにあたり、過去に時々書いていた日記を読み返し検討した。文章の端々から辛いと感じていたことが読み取れ、それでもなんとかぎりぎり生き延びていたのだと感じた。トレーニング開始後も書いてはいたが、徐々にその日記に書くことも減っており、書いている内容もトレーニング以前と比べると、楽になっていることが読み取れた。辛い状況や気持ちを書かずには居られなかったトレーニング以前を振り返ると、自分の立ち位置の体感がなかったことや両親が本当に精一杯であったと実感できなかったことで、自分の視点からしか周りが見えず、「自分は愛されていない」という幻想の中に生きていたのだとわかった。私にとってトレーニングとは縦の時間軸において、自分がどの立ち位置にいるかという体感を学ぶため、得るためにあったと感じている。

3.システミックコンステレーションで学んだことを今後どのように活用していくか。
(1)自分自身の人生を大切にすること
今までは後ろを振り返ることばかりで、見ることができていなかった自分の人生や未来について対してもっと具体的に行動したいと思っている。自分では日々いろいろな問題に対処していたつもりであったが、自分自身を「幸せにする」「大切にする」という視点がその時なりに取り組んではいたが、今思うと足りていなかった。まずはそこに向き合う事をしたい。また与えられていたものに気がつかなかったときにはできなかった、与えられたものに感謝して、その受け取ったものを使っていきたいと思っている。
(2)システミックコンステレーションとの関わり方
まっすぐに支えられている体感を忘れないように、今後もコンステレーションの場にもかかわって行きたいと思う。またトレーニングに参加し体感を得るまで、トレーニングでご一緒した先輩や勉強会の場を支えてくださった先輩たち、同期など、いろいろな人に支えられて、ここまで楽になることができた。まずはその先輩方、同期にできることを返していけたらと思う。また後にくる人に自分も少しでもその場を支える人になれたらと思っている。
(3)仕事への活用について
今回トレーニングに参加する事で日本を好きになり、公務員として働くことについて再度考える機会を得た。日本についてもっと学び、日本の公務員として自信を持って働けるようにしていきたい。また今はまだ、どのようにしたらよいか明確ではないが、自分がこれだけ変化し、生きることが楽になったこのシステミックコンステレーションを、公務員であり、地域・家族に関わる専門職でもある自分の職場での立ち位置で何か活用できることはないか考えていきたいと思う。

提出者:30代 女性 北海道

私が初めて家族の座(システミック・コンステレーション)のセッションを受けたのは、2010年1月のことだ。私は両親を後ろに残して前へ進み、「私は私の人生を生きます」と言って座が終わった。それから、システミック・コンステレーションに魅せられるとともに、自分自身と向き合う旅を続けてきた。

3年間のトレーニングを終え、今の自分は、トレーニングに入る前の自分と比べて、大きく変化したのを感じる。何よりもまず、自分の中のぶれない軸とその根拠を見つけたことだ。私は、自分が日本という国に生を受けて、今、生きているという事実が、どれほど素晴しいことなのかに全く気付いていなかった。知ることが私を救うのならば、と、必死で日本の歴史について勉強した。私の中に新しい日本という国の形ができると、日本に生まれたことを誇りに思い、胸を張って日本人だと言えるようになった。日本人として日本に生きる自覚が芽生えたことは、私を強くさせた。私の中の日本という国を取り戻すと、先人から伝承されてきた、日本人の美徳のひとつである正直で誠実に生きることが、とても清清しく、力強く、ずっとこうしたかったのだという思いが湧き上がって来た。
いつからか、日本は未だに古い伝統に囚われ、狭い土地で息苦しく暮らし、日本人は外国人と比べて、「すみません」が口癖ですぐに謝り、主張することが苦手で、お人よしで弱く、負けてばかりいると思っていた。さらに、自分が欲しいものを獲得するためには戦い、損得で動き、どこにいれば有利かを考えて立ち回らなければ、この世界を生きていけないと思っていたが、その思い込みからも解放された。言い換えれば、他人からどう見られているか、どの立ち位置にいれば良いのかを気にしてばかりいたのが、視点の軸が変わり、自分に戻ってきたとも言える。

私にとって、孤独であることは馴染み深い。トレーニング初期のエクササイズの際、自分の背中にご先祖様を想像すると真っ暗闇であったと、今でもその感覚を思い出すことができる。しかし、事実はそうではなく、私が今ここで生きていることは、父と母はもちろんのこと、祖父や祖母、たくさんのご先祖様、神様、すべてのあらゆる力が私を押し出してくれたからに他ならない。自分のいのちのバックグラウンドを思うと、孤独で切り離されているという感覚の方が幻想で、私にはたくさんの温かいものが流れて伝わっていることがわかる。それが私を形作り、支えを受けて、私がここに存在していることのゆるぎない根拠に思える。私は決して一人ではなく、孤立無援ではなかったのだ。

また、私が瞑想やセラピーなど自分自身の探求を続ける理由となった、過食嘔吐については、ファシリテーター養成コースの4回目が終わった時期にかなりの改善が見られた。21歳から10年以上、食べては吐くという行為を続けてきた。生きているよりも死んだほうがましだと思いながら、毎日大量の食べ物を買い、食べ、吐き出し、絶望しながら繰り返すという日々が徐々に減っていった。今では、吐くために大量に食べるという発想が無くなり、ひどい過食嘔吐は治まっている。少しずつ、人とご飯を楽しんで食べることもできてきた。体重が増えていく自分も受け入れられるようになった。本当に良かったと、じわじわと喜びを噛み締めている。どんなことをしても治まらず、治癒は無理かもしれないとあきらめかけていた症状が落ち着いてきたことは、大きな収穫である。
今後、システミック・コンステレーションのトレーニングを通して学んだものを誰にどのように活かしていくか、ということについては、まだ具体的な想像ができていない。自分の問題で精一杯であった私が、ふと周りを見回したときに、何ができるかと考えると、やはりこれからも、システムを学んだ私が私として生きていくことが大事なのではないかと思う。他の誰の分でもなく、自分が自分の人生の責任を負うこと、自分を尊重することは、他の人の人生を尊重することでもあり、人と関わる上では重要なポイントだと思う。私は、現在、公務員として働いているが、そこで関わる多くの人に、私が自分の人生を力強く生きることで、何かしようと思わなくても、何かができるのではないかと思う。また、自分に与えられた能力を使うことに責任を持ち、その能力を発揮させていくことは、自然と周囲に影響を与えるのではないだろうか。まだまだ、人に巻き込まれてしまうことも多いが、システムを学ぶことで身についた秩序を、その場にもたらすことができれば素晴しいと思う。人間関係の中にいて、ファシリテーターの立ち位置で物事を見ることは、より広い視野から起きていることを多面的に見ることができる。今後、もし自分が組織の中でリーダーとして働く役割が与えられた時には、大いに役に立つであろうことが想像できる。私は、自分の人生をファシリテートするファシリテーターでありたい。
また、時機と役目が与えられるのならば、結婚し、親となり子どもを産み、日本という国を次の世代に手渡していくことも、システムで学んだことを活かす選択肢の一つだと考えている。私に与えられたように、私も与え、夫婦が良いパートナーシップを築き、子どもの後ろにはたくさんのご先祖様が見守ってくれていることや日本人として生きることを示し、前へ踏み出す勇気を与えることは、その子の中に生きるシステムに、有益なものをもたらしてくれるのではないかと思う。
直接的な活用について言えば、私はコンステレーションの場を非常に好み、システミック・コンステレーションとは今後も関わっていきたいので、いつかプロとしてファシリテートをしてみたい、と思う気持ちがどこかにあるのも否めない。ただ今は、その目的や対象が明確ではないので胸の内にひっそりしまっておく。

コンステレーションの中で代理人として立った時、そこに私個人の思考や、感情は無くなる。また、身体も明け渡し、私は私でありながら、私ではないという不思議な体験をする。私を通して表現されるものを、ただ、そのままに受け取り現すことは心地良く、それが許され、守られ、尊重されている場にいることは幸福である。多くの代理人の役をし、自分の座を立て、コンステレーションの場にいることでつかんだ体感覚と理論は、私にたくさんの気付きを与えてくれた。起きていることに対するものの見方が変わり、どんなことであれ、目の前の出来事を信じることができるようになった。一人ぼっちだった私に、居場所と勇気を与えてくれた。秩序の中にいるときに安心し、くつろぐことを覚えた。そして、生きることを選択させてくれた。
私は小さな頃から、いつも物事の根本にあるもの、核になることを知りたいと思っていて、その究極の形として、人はなぜ生きるのか?ということにずっと興味を持っていた。大人に聞いたり、たくさんの本を読んだり、成長してからは智恵のありそうな人を訪ねて聞いたりもしたが、誰も納得できる答えをくれなかった。問い続けた私に、一番シンプルで美しい形を見せてくれたのが、システミック・コンステレーションだ。私の中で答えらしきものが見え、安心した時から問うことはなくなり、「なぜ」ではなく、「どう」生きるのか?に変化していった。

システミック・コンステレーションとは私にとって、事実を認め、本来の自分を思い出し、現実を生きるためのガイドなのではないかと思う。身につくまでは時間を必要とするが、何日か経つと元に戻ってしまうような一時的な癒しや高揚感ではなく、深いところにある不変の原則が私の目前に現れ、静かにしみこんでいく感覚だ。システミック・コンステレーションは、常に生きること、成長することを選択するものだと思う。私に与えられたいのちを、私はどのように使っていくか、これから問われていくのだと思う。私は自分の中に大きなエネルギーがあることを知っている。今まで過食嘔吐をはじめ、違う方向へ注ぎ込んできたエネルギーを、どのように使いこなしていくかは、私の責任である。その過程の中で、私は成長し続けていきたいと思う。

初めてセッションを受けた時に、「私は私の人生を生きます」と言い、座が終わった。両親を後ろに残したままで、前へ進む私のイメージが頭にあるが、当時はそれを理解することはできなかった。踏み出した一歩は新しく、希望に満ちたものであったが、両親を捨てて行くことへの罪悪感があり、心が引かれ、後ろめたさでしっかりと前を見ることができなかった。しかし、今、家族の最先端にいて委ねられているのは、私なのだ。自分の足でしっかりと立ち、支えてくれるゆるぎない力を信じることができると、私が前に進むことを、喜んで見守ってくれるたくさんの人々の姿を思い浮かべることができる。私は自分の力で生まれてきたのではなく、すべて与えられ今ここにいるという事実に直面し、ただ感謝の思いがあふれてくる。私の全部を使って自分を幸せにし、自分を良いことのために使おうと決意する。正直で誠実で、謙虚であり、澄んだまなざしで未来の方向を見つめ、学ぶ努力を怠らず歩いていきたいと思う。

最後に、チェトナ自身の人生をかけて私たちにシステミック・コンステレーションを示し見せていただいたこと、そして3年間私を導き、励まし、見守ってくださったことに心から感謝を申し上げます。どうもありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

第7期ファシリテーター養成コースを終えて

提出者:50代 女性 近畿地方 – 2017年3月
⒈ システミック・コンステレーションを知って自分はどう変わったか
— コンステレーションに関わった過去12年間の経緯 —2004年、私の祖先から受け継いだ家業が大企業に吸収合併され、新しい経営体制の嵐の中で苦しんでいたことがきっかけで、2005年秋のワークショップでチェトナ師のコンステレーションを初体験しました。

その後、H.ボーモント氏のワークショップに参加し、ドイツでのインテンシブに参加してから2期のトレーニングに加わりました。

トレーニング参加前の初期の頃に私が受けたコンステレーションはひとつひとつが衝撃的で、従前の視点を大きく変えるものではありましたが、それでも今思い返してみると2期トレーニング中は自分自身の重たさに終始圧し潰されており、まだ周囲の景色が全然見えていませんでした。

3期がスタートしたとき、やっとファシリテーターのチェトナ師やR.ウォールスタイン氏の言葉がはっきり聞こえ、心に届いてきたように思います。

4期、5期と受講するうち、従前の重苦しさが徐々にとれてゆきました。それはまるで、「暖かい気候になってきたから重たいコートを脱ごうかしら」 「そろそろカーディガンも要らなくなったね」 というような自然な流れだったように思います。

まず軽蔑していた亡き父を、次に大嫌いで日々戦ってばかりいた母を、かけがえのない両親として感謝と共に受け取ることができるようになりました。

のちには戦争を生き抜いた両祖父母を、そして家の基盤を作り、命をつないでくれた祖先を自分の心の中に感じることができました。

その間に、欧米に比べ恰好悪くてダサいと思っていた祖国日本、郷土大阪についての認識が変わり、郷土や国に自分が守られ愛されていることを誇りとともに信じられるようになりました。

それらの大掃除とリノベーションを経た後に、澱のようにたまっていた問題が浮き上がってきました。それらは自らの劣等感、自己評価の低さでした。この課題を克服するにはさらに2年間を要しました。この段階で、我が国の教えられていなかった歴史や、憲法に隠された目的について知る必要がありました。自分自身への批判には根拠が無かったのだということが腑に落ちた時の戸惑いと、その虚構を創り出したしくみへの残念さは忘れません。

このようにして苦しみを生産する装置をあらかた撤去したら、広いスペースが生まれ、風が通り、水が流れるようになりました。

⒉ 自分にとってのコンステレーションはどのようなものか
— 一生かけて謙虚に学び続ける 「コンステレーション道」 —

コンステレーションにクライアントや代理人として参加して最初に知ったのは、自分が感じている感情は、必ずしも自分が作り出したものではないということです。代理人経験を重ねることで、その区別がつくようになってきますが、同時に大切なのが瞑想だと学びました。

またこの十余年の間に私の生活にもいろいろな起伏があり、その都度出てきた課題をコンステレーションで客観的に見せてもらうことで乗り切って来られたのは実に幸運でした。

同期生には、心理療法の専門家、経験豊富なセラピストや、鋭敏な感性や感覚を持った人、霊感を持つ人など、私のこれまでの人生で接することが無かった人たちが大勢いました。私自身は全くそのような体験や感覚を持たないこともあり、自分の感性の鈍さと学びの遅さを否応なく自覚させられ、だからこそ長く学び続けてきたのだと思います。

先日の養成コースの最終日のとあるコンステレーションで、私は 「7期養成コースの受講生」 という代理人を務めるチャンスがありました。その時に自ら湧き上がってきた言葉は、「今、リソースは私自身の中にあります」 でした。

7期に基礎コースから入り、養成コースまで終えた今、ようやく等身大でシステミック・コンステレーションのスタートラインに立った気がしています。

⒊ 今後、人生でどう活用していくか
— 自意識過剰になっている場合じゃない。ケチケチしないで伝えていこう —

4期あたりから、「私にもコンステレーションをファシリテートできたらいいな」 と憧れるようになりましたが、とてもできるとは思えませんでした。当時は、「技術的に困難」 「心理学をちゃんと勉強していないから無理」 と考えていました。同時にどんどん進化していくチェトナ師のコンステレーションについていくことに対し、心と感情が四苦八苦していました。例えば大東亜戦争の日本軍に対する真逆のイメージや、心酔していた欧米の国々へのハートブレイクを体験しました。

しかし段々と、周囲の知人友人の問題に対して解決の提案が浮かぶようにもなってきました。それは私の 「技術」 が進歩したというよりも、システミック・コンステレーションの 「視点」 が身についてきたからではないかと思います。

システミック・コンステレーションを潜在的に必要とする人はとてもたくさんいます。そんな中で、まず私が手助けする相手として具体的にイメージできる人たちに対して、アプローチしていきたいと思います。実生活の仕事上の経験から、お客様、もてなす相手、サービスを提供する対象が具体化できなければ、よい関わりを持つことは難しいと考えるからです。

私がイメージできるクライアントは、例えば家業の代替わりの課題を持つ人、管理職の女性たち、シニア社員を使う・使われる人たち、または年老いた両親や義父母との関係に悩む人々などです。

とはいえ、私自身も親の介護をしながらフルタイムの会社人であるのが現実です。焦らずに目的と方向性だけはきちんと見据えて、状況がかみ合うよう身辺を整えていく必要があると考えています。

⒋ 追記
— チェトナ師と、同期生への感謝 —

チェトナ師の使命感とブレの無さ、鋭敏な気づきと言語化能力は特筆に値するものです。

そのようなチェトナ師によって、ドイツで生まれたシステミック・コンステレーションが、みごとに現代の日本人仕様にカスタマイズされ、その進化した手法の恩恵を私たちは受けることができています。

今チェトナ師が伝えている日本の歴史、戦争の意味、憲法の解釈などは、書物や人から聞き知った知識ではなく、チェトナ師が何百何千ものクライアントとその都度謙虚に向かい合い、ひとつひとつの事象に集中してファシリテートすることで生まれた気づきを、トレーニングやワークショップで還元してくださっています。

私はそれを十余年見てきた肌感覚で知っていますし、尊敬し信頼しています。

また、コンステレーションで、私自身の代理人になったり、家族や会社、その他あらゆる代理人を務めて私の問題解決に協力してくれた同期生の皆さん、同時に自分の問題をさらけ出して学びに替えてくれた方々にも心から感謝しています。ありがとうございました。今後ともご一緒に研鑽いたしましょう。

以上

提出者:30代 男性 中部地方 – 2017年1月

ファシリテーター養成コースを二度終了し、《コンステレーションによる変化》 《今後のコンステレーションの活用》 《私にとってのコンステレーション》 について記す。

二年前に修了レポートでは、「コンステレーションは私にとっての土台である」 と書いたが、今それはさらに強まると同時に、私にとって自然で当たり前な状態になっている。

例えば、何か物事を考えるとき 「コンステレーションの考え方ではどうなるのだろう?」 とあえて問うのではなく、「見失われているものは何か」 「どうしてそうならざるを得ないのか」 という問いが自然に浮かぶのだ。

また、自分の身体感覚や感情の変化に気がつけるようになったため、問題やトラブルに入り込む前に距離をとることが自然と可能になっている。

ここまで自然な状態になってくると、「コンステレーションをどのように活用していくか」 という視点で考えるよりも、「私が何をしていくのか」 ということが結果的にコンステレーションの活用につながるのだろう。

コンステレーションをとおして受け取ってきた私の能力をどのように使っていくか、 18年弱勤めた会社を退職した今、改めて構築していこうと思っている。

さて、この2年における変化を思い起こすと、やはり退職したことが印象的だ。2年前の修了レポートには、「誇りと想いを持って仕事ができるようになった」 と書いており、嘘偽りのないものであったから、自分自身も想定外の出来事である。

想いを持って働くという現実は、茨の道で困難の連続であった。上手くいかずに、泣き叫ぶような時が何度あったことか。それでも、誇りと思いを持ち、コンステレーションと師、仲間に助けられ、立て直し、一歩一歩進んできた。

それは、私の成長の歩みでもあったのだが、
「もう耐えられない」 と、
ある出来事をきっかけに、魂から叫ぶようなその想いが全身を覆った。今思えば、既にボロボロだったように思うが、そのとき、ふっと脳裏に 『退職』 という言葉がよぎった。

その忘れていた言葉を手に取った時、視界がふわぁっと広がるのを感じた。

それは、過去に感じたものではく、決して、思い上がっているわけでも、逃げてるわけでもなかった。必死にコンステレーションをとおして、自分と向かい合ってきたからこそ、新たに見えた選択肢なのだと思った。

コンステレーションと出会った頃、「自分が抱える問題をきっかけに自分自身と向き合い続けていくことはとても大切なことだ」 と思うと同時に、実はその先に 「問題のない世界」 が待っているはずだと無意識に思い、期待をしていたのだなと思うが、今は、この終わりのない旅を楽しみたいと思う。

以 上

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