コンステレーション・ニューズレター

『コンステレーション・ニューズレター』は、コンステレーションズ・ジャパン®が提供するワークショップやトレーニングなどの情報と、生きることを楽にするのに役立ちそうなシステミックな発想のヒントをご紹介します。配信は不定期ですが、どうぞご了承ください。

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ニューズレター・バックナンバー

「漠然とした投影」 #1-2014年6月
こんにちは。
ヘリンガー・インスティテュート・ジャパンのチェトナです。

札幌から千葉に生活拠点を移してから、初めての梅雨を経験しています。
事務所の所在は札幌のままです。

10年以上、札幌から東京、横浜と毎月のようにワークショップやトレーニングのために通ってきましたが、ホテル暮らしをするのと、日常を生きるのではずいぶんと感じ方が違うものです。

札幌は、この季節が最も爽やかで、一年で一番過ごしやすい時期なので、 私の身体は札幌に住んでいたときの記憶を元に、「爽やかであるはずなのにどうも何かが違う・・・?」という微妙な感覚を持ちます。

私の仕事部屋の窓からは、なかなか立派な梅の木が見えます。雨に洗われた葉っぱはつやつやと緑の葉を繁らせ、たわわに実をつけています。あの実でジャムとか梅みそとか作る人がいるのよねえ、、、などと思い巡らしています。梅みそがどのようなものか、先日その名称を初めて聞いたばかりで、どのようなものか私は知りません。

ニューズレターの配信を開始してしばらく経つのですが、まだ使い方を今ひとつ理解していなくて、ワークショップの案内しかこれまでお送りしていませんでした。残念な使い方です。皆様には失礼をいたしておりました。

ここのところ、よく思考していることに、「漠然とした投影」というも のがあります。

例えば、普通の日常を生きていて、毎日同じように続いて行くつもりでいたのに、社会の中でやっていく自信が突然なくなってしまう、世間が自分と敵対しているように感じ恐くなってしまう、社会の枠組みから自分だけ外れているような疎外感に見舞われてしまう、というような感覚にはまってしまい、押し入れにこもって頭から布団をかぶって外に出たくなくなることがあります。

または、近い未来にお金が入って来なくなる、将来の自分の人生をお先真っ暗に感じてしまう、急に今までやってきた自分の仕事の価値がなくなったような感覚に襲われる、というようなことが起きることもあります。

例えば社会とは、自分を叱咤してがんばって外に出て行くことで繋がることができる世界であったり、ありのままに生きようとすると社会のシステムの中では生存できないから少しでも無理を減らしながら生きる方法を模索してみるとか、そういうものだと思っていたりします。

で、体調が良く、体力や気力があるときは、自分なりのそれなりの生きる方法に戻ることができるのですが、体力気力が低下しているときというのは、それら上記の気分に軽くだったり、重くだったり打ちのめされてしまうことがあります。

過去に私が学んできたことの一つに、「恐れは怖がっているときに一番大きくなりこちらを圧倒する力を持つ。恐れを感じたら、近づいて行って、観察して、実際のサイズを確認してみると、たいてい思ったほど大きくなくて、恐さが消えて対処法がわかる」というものがあります。

多くの場合、私たちの行動は、過去に蓄積してきた言語と経験、知識と洞察、それに直感などによって方向付けられています。

それで、自分がめげてしまう状態、自分をすくませてしまう恐れなどと関連する、先に上げた例の中にある言葉を私たちはどれくらい実感として知っているかというと、意外と漠然とそうとらえているだけで、実体をよくわかっていないことが多々あります。

では、あらためて自分に問いかけてみます。
「自信」というのは具体的にどのような状態ですか?
「世間」という言葉で具体的に何が思い浮かぶのでしょう。
「社会」という言葉を具体的に私たちは説明できますか?
「お金」とは具体的に何のために存在していて、何の役に立ち、何によって不安になるのでしょう。
「ありのまま」が具体的に意味するものとはどのような状態?
「社会の枠」って具体的に何を指していますか?

コンステレーションを通して、これらの言葉の意味が人それぞれでどのように腑に落ちるかを二日間のワークショップで検証して行きます。

他から借りてきた意味や、教えられた知識や、植え付けられた概念ではない、自分の内側から湧き上がる身体感覚としての「自信」や「社会」 や「お金」、「ありのまま」の意味を発見する小さくて深い旅をするワークショップを開催します。
このワークショップでは、知識を教えません。
参加者自身に体感し、実感してもらうことで、自分なりの言葉の意味を掴んでいただき、ただの言葉だったものをご自身の実感する意味へと変えていただきます。

こんなテーマでワークショップを開催します。
「お金は愛の表現ー自分の投影を取り除くとき」
―お金に限らず、コンステレーションを使って様々な投影から自由になるための2日間
エクササイズを通して体感していただきますが、個人の問題の働きかけもします。

小林 真美(チェトナ小林)

「お金と自分と父親と祖父と生命の関係」 #2-2014年6月
こんにちは。
ヘリンガー・インスティテュート・ジャパンのチェトナです。

今週末に「お金は愛の表現」というテーマでワークショップをやることから、今日はちょっと「お金と自分と父親と祖父と生命の関係」についてお話してみたいと思います。

清々しい季節の5月に、ドイツで2001年から毎年インテンシブと称して、英語によるシステミック・コンステレーションの集中講座があります。そこには世界中から100名前後のセラピストや精神科医やカウンセラーの方々が参加します。

私は2001年から2002年にかけて、お金にまつわる非常に深い体験をしました。そこから得た知識と理解を、コンステレーションを通して他の人に伝えなくてはいけないという、なぜか強い思いが湧き上がり、2003年から数年間、毎年ドイツのインテンシブに行く度に、自分の研究を発表する場をもらい、お金と愛の関連を理解するためのワークショップを開いてきました。

そのワークショップは大盛況で、初めて披露した2003年は、インテンシブ全参加人数の半分にあたる50人くらいの参加者が集まり、2 名の方のコンステレーションを立て、明るく喜びに満ちた大成功のワークショップとなりました。翌日からはその参加者たちによる自主勉強会まで立ち上がるという、ちょっとしたブームが巻き起こりました。

毎年、インテンシブの度に、私がまたお金のワークショップをやってみせることを楽しみにしてくれる人もあって、自分のワークを受けたいと順番待ちをしている人まで現れました。

そこで私がシェアしたことを、自分の国に持ち帰って、自分のクライアントを助けるために活かしてくれた人たちが何人もいて、いくつかの嬉しい報告ももらっています。

アメリカでネイティブ・アメリカンの居留地で援助の仕事をしているセラピストが、その居留地で行ったワークショップで、私が伝えた方法を実践した結果を教えてくれました。

ネイティブ・アメリカンの居留地の中の生活は失業や暴力、アルコール依存やレイプ事件が多発し、すさんでいることが多いのです。祖父母、曾祖父母の世代が虐殺されたり、迫害されたりしていることから、世代を超えてトラウマが受け継がれ、後の世代は生きる力を失い苦しみます。

ワークショップの中でそのセラピストは、ある男性にお金と向き合うことができるようになるためのコンステレーションを立てました。彼はそれによって誇り高い戦士だった祖父のエネルギーを自分の中に見出すことができるようになり、その後、自分で商売を立ち上げ、家族を守ることができる男へと変化したそうです。

メキシコのある女性セラピストは、毎年その私のドイツでのワークショップを心待ちにしてくれるようになり、毎回参加し、方法を吸収していきました。

あるとき、インテンシブの宿泊施設である修道院で、私を部屋に招待してくれて、メキシコから持ってきたというお土産をくれました。金色のコイン型のチョコレートです。そして報告してくれました。彼女は、お金をテーマにワークショップを開催するようになり、大成功したそうなのです。

あるとき、若い女性がワークショップに参加しました。
その若い女性の父親はギャングのボスで、父親がどれほどの犠牲の上にお金を儲けているかを想像すると、申し訳なくて、罪悪感に苛まれて、父親を見るのも嫌で大嫌いで、お金も血塗られているようで受け取ることなどできないと言うのです。

セラピストは、本人と父親の行為と、父親の愛情と、お金の代理人を立て、その動きが現す意味を彼女に伝えました。 お金が目的にされてしまったときと、お金が手段になったときの意味は全く違うのです。お金は彼女が赤ちゃんのときのおむつにも、ミルクにも、淡いピンクの小さなドレスにも、ベビーカーにもなり、愛らしい幼子(おさなご)の写真の現像代にもなっていたことを彼女は知りました。 父親と彼のやっていること、愛とお金を全部ひとまとめにして嫌う必要がないことを彼女は初めて理解することができたのです。そして、自分がどれほど父親に愛されていて、自分が父親を愛しているかを感じ取りました。

全員とは言いませんが、多くの人に当てはまることがあります。

お金を作るエネルギーは父方のエネルギーに関連していることが多く、父親から愛情や生命エネルギーを惜しみなく受け取ることができる人、そして父親がその父親である祖父と強い絆で結ばれているとき、お金に限らず色々なものを受け取ることが容易になり、可能となっていきます。

問題は、日本では戦中、戦前世代の祖父母たちと、戦後世代の親たちが、生命エネルギー的に、文化的に分裂し、分断され、絆が断ち切れていることが多く、そのために子供世代はお金も含めてとてもたくさんのものを受け取ることが非常に下手になっています。

そんなことから、ここで再び、それらのことに身に覚えのある方のためにワークショップをやろうという運びになった次第です。

こんなテーマでワークショップを開催します。
「お金は愛の表現ー自分の投影を取り除くとき」
―お金に限らず、コンステレーションを使って様々な投影から自由になるための2日間 」
エクササイズを通して全員に体感していただきますが、個人の問題の働きかけもします。

小林 真美(チェトナ小林)

「女子更生保護施設~再出発を支える人たち」 #3-2014年7月
女子更正保護施設
~更生保護施設~再出発を支える人たち~

犯罪をした人や非行のある少年の中には、頼ることのできる人がいなかったり、 生活環境に恵まれなかったり、あるいは、本人に社会生活上の問題があるなどの理由で、すぐに自立更生ができない人がいます。
更生保護施設は、こうした人たちを一定の期間保護して、その円滑な社会復帰を助け、再犯を防止するという重要な役割を担っています。

法務省のホームページから
http://www.moj.go.jp/hogo1/kouseihogoshinkou/hogo_hogo10-01.html

八王子の女子更生保護施設「紫翠苑」で、カウンセリングをさせていただいています。

私の役目は、覚せい剤依存や盗癖、リストカットなどの衝動を抱える人たちの、 問題となる行動が繰り返されなくなるための手助けをすることです。

こちらには、少年院を出てこの施設に来たという10代の少女たちが多く、毎回、個人セッションでは自分の知識と経験、能力の限界まで駆使して向き合うことになります。

自分の10代の頃を振り返ると、非行にこそ走りませんでしたが、感情が不安定で、私はずいぶん荒れていました。

全てが理不尽で、いつも何かに怒っていたような気がします。
私の心にはやり場がなく、私の心には行き場所がありませんでした。

それでも、私には両親が健在で、生活環境は整っていました。

自分のすさんだ感情の原因は、傍から見たら見当違いに映るものだった筈です。

荒れていても、臆病だったので、悪いとわかっていることに飛び込んでいく勇気というか、無鉄砲さはありませんでしたが。

その頃、補導員という大人を、何となくなんら理由もなく敵と見なし、少年院に行くようなことをしていないにも関わらず、そのような施設を行き場のない子供を理解せずに、管理して、がんじがらめにする、灰色の四角い建物のように思い描いていました。

今思うと、昔々の網走刑務所を想像していたのではないかと思います。

ホルモンバランスの不安定な時期の妄想は果てしがありません。

紫翠苑の先生、スタッフの方々と接し、保護されて少年院に入った青少年たちがどのように変化していくものか、そのお話を伺っていると、私がかつて未熟な心に描いた少年院のイメージが、ことごとく柔らかな色合いに塗り替えられていきます。

例えば十代で覚せい剤常習となってしまう少女たちがいます。

彼女たちの生まれ育った家庭環境に、両親も揃い、離婚もしていない、経済的にゆとりもありながら、何故ここに来なくてはならなかったのかと、常識では理解できない例が稀にありますが、多くの場合は、幼い頃に両親が離婚し、片方の親にそれ以来会ったことがない、上手くいけば祖父母に育ててもらえるが、そうでない場合は、片親の新しい恋人の顔色を伺いながら生活をする、または性的虐待を受ける、里親の元に預けられるもそこでも虐待が待っている等、無邪気なか弱い幼い女の子が、適切な保護が得られないとき、どれほどの過酷な運命が待っていることか、その瞬間のその子の抱えていた心細さや恐れを、自分の感覚を開いて感じ取ったときには戦慄が走ることがあります。

そこに安心や、安全を感じ取ることを可能にする秩序はありません。
普通の日常が無法地帯なのです。

子供たちが保護され、場合によっては補導され、少年院に送られたときに、生まれて初めて誰かが見守ってくれる中、秩序—明日も安全が想定できる状態—を経験する子たちがいます。

少年院で子供たちを見守り、手助けする大人の先生方、スタッフの方々の温かさに触れ、人間の関わり合いを知るのだそうです。

かつての知っていた世界には、どこにも居場所のなかった子たちが、その世界は小さな世界で、その世界のすぐ隣に大きな世界があることを知り、そこには出入り自由なのだと知るのです。

小さな人形を使って、10代の覚せい剤依存の少女のコンステレーションを立てたことがあります。
家族関係を人形に代理させて立てていくのですが、その子の支えとなるリソースが全く見当たらない場合があります。

そのようなケースはここでは珍しくなく、何人もの少女に見ることのできる現象です。

本人の代理となる小さな幼い女の子の人形が、遥か遠くに距離を置いて立ち尽くし、好き放題な方向を向いた大人の代理人の人形たちの隙き間で、まるで氷の風吹きすさぶ荒野に見捨てられて立っているような、そんな状況しか現れないことがあり、私は途方に暮れることがあります。

一切のリソースが見当たらない時、私はこっそり、本人にはそれが何かを言わずに、一つ、時に二つの人形を立てて、それがある方が良いか、またはかえって悪く感じるかと尋ねることがあります。

そして、答えはほぼ100パーセント、それがある方が良い、それがある方が頭がスッキリする、それを入れる方が少し温かい、ないよりある方が楽、という答えが返ってきます。

少年院、保護施設、それら施設と連携する地域の人たち、保護司の方々、法務省、そして国

遥か遠い昔に、私が漠然と恐れ、訳もわからず嫌った「国」や、いわゆる国家権力は、私たちを影から見守り、いよいよ困ったことが起きて、その子が世界から見捨てられたと自分を見限ってしまう前に、手を差し伸べ、支え、自分の足で立ち上がり、歩んでいけるように支援していると、遅ればせながら、大人になってからずいぶん時間の経過した私は、少年期に漠然と思い描き、どこか自分の奥底にすり込まれていたお国のイメージを、ここに来てようやく、本来の温かく優しい色合いに、根本的に塗り替えるにいたりました。

もちろん、国も全能の神ではありませんから、100%の確率で国民全員を適切に助けていると言うつもりはありません。

しかし、私の払う税金の一部がもしかしたら、そのような子供たちを助けていると想像すると、私は嬉しいのです。私一人では決してできないことを、私の愛する国が、私の願いを叶えてくれています。

この子たちを助けるためのシステムを、作り上げてくれているのです。

国がそこに生きる人々を愛し、紫翠苑のような機関が国の手足として、手を届かせ、守り、支える。

また、そこでカウンセリングをすることで、再犯率を下げることに少しでも貢献できるとしたらそれも嬉しく、それに対し、お国から報酬をいただくことのできる自分の仕事を誇らしく感じます。

そして、そのお国に税金を払うことで貢献している人たちに、恥ずかしくない仕事をしていると、認めていただけるようになりたいと願い、仕事を続ける日々を送っています。

支えの全くない子たちのコンステレーションで、私がこっそり立てる何かの代理人の一つは、
「日本という国」、もう一つは「神社」です。

どこにも居場所がなく、どこにも行き場所の、生き場所のなかった子たちにも、国はいてくれる。

日本の神様は見守ってくれているのです。

小林 真美(チェトナ小林)

「良いことと悪いこと – [クリス・ウォルシュ氏来日中止で何が起こったか]」 #4-2014年8月
良いことと悪いこと
– [クリス・ウォルシュ氏来日中止で何が起こったか]

自分が遭遇する出来事を、私たちは良いか悪いかで分類しがちですが、たいていそれは両方です。

厳密に言うと実はそのどちらでもなく、良く感じるか、悪く感じるかでしかなく、その現象自体は良くも悪くもありません。それで、では良いとは何か、悪いとは何かというと気分が上がるか、下がるかに分けられます。そしてまたそれは必ずしも善であるとか、悪であるとかにも関係ありません。

それから、びっくりする出来事か、びっくりしない出来事かにも分類できます。

びっくりするときは、そのような出来事は起きないという前提を持ってほぼ確信しているときで、びっくりしない時は、まあ、そういうこともあり得るかもしれないな、と視界の端っこにそれが起きる可能性を何パーセントかでも想定しているような場合です。

7月のほぼ終わり頃に、クリス・ウォルシュ氏から「日本に行かないかもしれない」という連絡をもらったときには、最初何を言っているのか意味がわかりませんでした。

「はあ?」って感じです。

そもそも、ウォルシュ氏は、海外からオーストラリアに講師を招いてコンステレーションのワークショップやトレーニングを主催するオーガナイザーであり、自身がシンガポールに招かれてトレーニングで教えているトレーナーでもあるので、オーガナイザーの立場や差し迫った日程、その責任問題や補償のことを考えると、ほぼこの段階で来日を取りやめるなどというのはあり得ないことなわけです。信頼していた人だっただけに、それを聞いた瞬間、私の目は点になりました。

でも、「えー!ひどい、そんなの契約違反だ、すっごい迷惑、何言ってんのこの人!」っていう反応は私からは出てこなくて、なぜか私は「ほう、そうなんだ、そういうことするんだ、いや、ここにきて困ること言い出すなあ」 と、いう感じで、めちゃくちゃびっくりしたかというと、実際そこで考えたのは、「日本に来ることに関して疑問や問題があるなら、まず解かなくてはいけない」ということでした。

その後2週間に渡って私は何が問題なのかを聞き出し、氏の持った疑問点や懸念材料について丁寧にメールで答えていくことをくり返し、何度もやり取りしていたのですが、とうとう同じ言語を使っている筈なのにお互い理解できないというポイントに到達してしまいました。

ボタンの掛け違いがずっと続いていくような、ほとんどシュールレアリスティックなやりとりに、これ以上の交渉はもう無理だと判断し、私は結論を伝えました。

私の側が提示できる条件は最初に契約した段階と変わっていません。丁重に講師としてお招きし、敬意をもって良い仕事をしてもらえるように環境を整え、講師として、また 良い友人としておもてなしするということを約束し、それで納得がいかないのであれば、残念ながら仕方がありません、とお伝えしたわけです。

そのやり取りを続けている2週間は、非情に神経をすり減らすしんどいプロセスだったのですが、知識レベルでは新たな発見が次々あって、そちらの角度からはなかなか面白い体験でした。

一つは、この交渉という作業において、オーストラリア人である氏と、日本人である自分の取り組み方が非情に違っていました。

交渉とは、もちろん相手は自分に有利になるように持って行こうとして条件の変更を求めてくるのですが、そこにあるのは当然のことながら交換条件なわけです。
「あなたがこうこうこの条件を受け入れ遂行するなら、私はあれこれそれを行います。」
これはディベートの発達した国の人にとっては、苦もなく出来ることなのでしょうか?

私にとってはその交換条件というものを考えること事態が結構な苦痛で、こちらとしては提示した条件に同意した時点で来る筈な訳で、それが嫌なら来ない筈というだけです。
元々、北海道人というのは粘らない気質らしく、「それはダメ」と言われたら、「はい、 わかりました」と返事して、交渉しないで帰るのです。

そのようなやりとりでは、エネルギーレベルではどちらが優位に立つかとか、主導権を握るかみたいな暗黙の駆け引きみたいなものも感じられ、どっちの勢いが強いか的な、別の角度から見るとスポーツの試合みたいな感じもありました。

でも根本的に、私としては優位とか劣位とかに全く興味はないし、丁寧に説明することで誤解を解くことが目的な訳です。ただ誤解が解けて気持ちよく来てくれたら何よりだと思っていたのです。そもそもこちらが出している条件は元々悪くなかったので、交渉の半ばの段階では、その条件が嫌になったのなら、それはそれで仕方ないかなとも思い始めていました。

またそこに、それぞれがそれぞれの国にどのようにいるかという在り方が、交渉の仕方に反映されているように見え、これは私の研究していることに繋がるので、白熱していくやり取りには、また別の角度から見ると結構わくわくする部分もありました。これが二つ目の発見です。

トレーニング受講生の方から伺った話ですが、日本の武士道において、自分の身支度は風呂敷の上で為し、自分のけがれは風呂敷の外には出さないというものがあるのだそうです。例えば、道場に稽古に行って、稽古着に着替えるとき、お侍さんは風呂敷を広げ、その上に立って着替えたのだそうです。

それは、日本の国土に根付いた分相応に生きるという在り方とも繋がっているのかと私は理解しました。
もともとの日本の文化を考えると、自国の中にあるもので出来る限りやりくりし、自国の中だけでまかなえない場合には外の国と貿易して交換する。ここに侵略や搾取や略取はありません。日本は内需の国なのです。

境界の引き方も同じです。
例えば、ヨーロッパやアメリカの歴史を振り返れば、他人の土地や国土への侵略、奴隷として人をさらい、売り飛ばす略取、搾取が前提で成り立ってきています。

交渉は言語を用いて、双方がエネルギーレベルのテリトリーの範囲をどのように規定するかという場ですが、私の反応はというと、ああ、もうホントに日本人でした。(私の思う日本人ですが)
私の領域はここまでで、これ以上でも以下でもありません。
自分に出来る説明は全てした上で、私とあなたは対等で、双方の求めるものに合致点があれば交換といたしましょう。合致しないのなら、それはそれまでで妥協も譲歩もいたしません。残念でした。あっさり。

その結果、8月7日に氏の条件に応えないなら日本には行きません、という返答をもらうことになりました。

自分の中に起きた次の反応は、「じゃあ、ここで何をするのがワークショップ参加者とトレーニング受講生にとって良いことになるのかな」と考えることでした。
私は、瞑想(マインドフルネス)の重要性と、コンステレーションの関連を伝える場を作りたいと願っていました。

ウォルシュ氏抜きで、どうやってやったらいいかを一晩考えました。
私自身、瞑想の師オショーに弟子入りして30年以上経っているのですから、私だけでもやってやれないことはない、でも、それでは何かが足りないのです。

そこに浮かんだのが藤岡延樹氏(あんちゃん)です。
5〜6回あんちゃんの姿が脳裏に降ってきました。

次の日、メールで事情を説明し、瞑想指導の講師として、私と一緒にワークショップとトレーニングをやってもらうことは出来ないかと訊ねました。
もちろん、週末忙しいお坊さんですから、私の主催する土日の日程全部に来てもらえる とは思っていません。
私の提示する日程の中の、1日だけ、半日だけでも来ることができるなら手伝って欲しいとお願いしました。

そして、たった2時間後、私に対して条件を一切確認することもなく、「スケジュールを調整しました。ご依頼承ります。」と、あんちゃんからの返信を受け取りました。

2週間のこれでもかという交渉で神経が疲弊していた私は、その返信を読んだ瞬間泣きました。

これまでに築き上げてきた相互間の信頼のみで、送ってくれた回答でした。

日本における日本人による日本人のための「国産」のマインドフルネスとコンステレーションのワークショップを開催します。

小林 真美(チェトナ小林)

「自分を責めることに繋がるもの」 #5-2014年9月
こんにちは。
ヘリンガー・インスティテュート・ジャパンのチェトナです。

先日、「自分を責めることについて」と題してブログに書いたのですが、その内容にもう少し書き足すことができることに気がつきました。

自分を責めることに繋がるもの

自分を責めていると、私たちのエネルギーはどうどう巡りの状態に陥ります。

自分を責めているときの私たちは、何も生み出さず、建設的な行動に結びつかず、かといってそこから出ることもできない無限サークルを、重い足を引きずりながら廻り続けているような状態にいます。

自分を責める行為は、罪悪感と密接に繋がっています。

自分がやらかしちゃったことなら、向き合って認めることで、次へと進む力を得ることができます。

コンステレーションの現場で目にするものの多くに、自分がやっていないことのために、自分を責めている状態というものがあり、これは通常、自分で気づくことができません。

例えば、おばあさんが若い母親だった時に、わずかに目を離した隙に子供が川で流されてしまった。その罪悪感を孫が代わりに感じとり、自分でも理由のわからないまま、自分を否定し、責めてしまう。

おじいさんが二十歳の兵士だった時に、所属していた部隊が全滅してしまったのに、自分だけ生きて帰って来てしまったやるせなさを、孫息子が感じとってしまい、いつも生きていることに申し訳なさを感じてしまい、二十歳を過ぎてからは、死ぬことを考え続けてしまう。

このようなことは多々あります。

でも、これはコンステレーションの中で明らかになるので、それでも手助けが可能です。

これまでの観察の結果から、私はあと二つほど対応が困難なものを発見しています。

自分と国との関係です。

私たちは思いの外、自分の国と強く繋がっています。自分の国が他の国に非難されると、私たちは防御的になったり、腹を立てたり、後ろめたくなることがあります。

もし、自分の国が本当に何か悪いことをしていたなら、たとえ自分が直接何も関わっていなくても、私たちも罪の意識を感じます。しいては自分を卑下するようになることもあります。

「たとえ自分が直接何も関わっていなくても」
ここがみそです。

それでも、自分の国のことを自分の問題としてとらえることができるのなら、もはやゴールは近いというものです。その事実に対して、私の国がやったことは私の責任でもあります、と認めることができるなら、そこから力が湧き、私たちは真の意味でその償いをすることができます。

ただ、そうしても何も変わらない場合があります。

どれほどその罪と、何回も誠実に向き合っても、消えない漠然とした罪悪感というものもあります。
これは、厄介です。

国が実際はやってもいないことに対して、濡れ衣を着せられて、非難されている場合です。

この場合、その事実を認め、自分の国の責任は私の責任であると、どれほど罪と向き合っても、実体がないだけに、何か申し訳なさのようなものを感じても、変容させることができません。
しかも、無意識のうちに、その罪悪感にふさわしい自分になるように、自分に暗示をかけ、意味もなく失敗を繰り返すようになっていったり、後悔するようなことを続けていったりします。

これはとても複雑で、巧妙な罠のようなものなので、仕掛けを見破らないと実体のない罪悪感に取り込まれ続け、あたら自分の生命エネルギーを無駄にすることにもなりかねません。

この悪循環から抜け出るために役立つのは、真実の歴史を調べることです。

自分の国の歴史を色々な角度から調べ、自分の腑に落ちる真実を見つけることが鍵となります。

国も重要な自分を構成している要素です。
その良い部分も、悪い部分も認めて、これが私の一部で、私もこの国の一部と言えるようになることが、自分を救う助けとなります。

あと、もう一つ、隠れた罪悪感というものもあることを思い出しました。

ですから、対応がなかなか難しいものは3つです。

自分の国の悪いことをばかりを上げ連ねて非難しているとき、私たちは無意識に、自分の中にしまい込んだ国を愛する気持ちを、自分で裏切り続けていることになります。

これは無意識に自己否定感を生み出します。
これを本人が自覚していないとき、その人の子供や孫が自己否定を始めることがあります。

そして、これも真実の歴史を調べていない時に起きることで、「調べる」ことが鍵となります。

私がファシリテートするワークショップでは、これらの本人が無意識に自分ですり込み続けている思い込みを解除しながら、コンステレーションの中に入っていくという、なかなか手間のかかるプロセスを踏むことがあります。

トレーニングでは、それにかなりのエネルギーを注ぎます。

それら悪循環から抜け出る行動を手助けする手段のひとつに瞑想があります。
コンステレーションを支える重要な基盤でもあります。
瞑想の経験のある人とない人では効果の現れ方が違うので、私は自分で自分を助けるスペースを生み出すために瞑想をお勧めしています。

日本における日本人による日本人のための「国産」のマインドフルネスとコンステレーションのワークショップを開催します。

今年、個人の問題への働きかけをするワークショップはこちらが最後になります。
瞑想がどれほどコンステレーションにとって重要であるか、その体験をご一緒できることを願っています。

小林 真美(チェトナ小林)

「瞑想と音楽とコンステレーション」 #6-2014年9月
こんにちは。
ヘリンガー・インスティテュート・ジャパンのチェトナです。

あと10日で、藤岡延樹氏(あんちゃん)と私のコラボレーションのワークショップ
瞑想と音楽とコンステレーション」です。

私は本気で思っています。
このワークショップを逃す人は損をします。(そして、もちろんその次の週末のトレーニングも、です)

おこがましいとか、生意気なとか、はあ?って言っていただいて構いません。
私はそう思っているのです。

このコラボレーションのワークショップが、参加者に差し出す空気感というか、その場に生み出される場のエネルギーは、とてもオリジナルな、他のどこでも味わうことのできない、私とあんちゃんが、天の計らいで組んだ時にしか現せない、決して誰にも真似のできない唯一無二のものです。

ただの瞑想のワークショップではありません。
普通のファミリー・コンステレーションのワークショップでもありません。
そして、いつでも行けるライブハウスの弾き語りでもないのです。

瞑想の道に入って30年を越えて、苦しくないこととはどういうことなのか、コンステレーションを自分の人生の道にして15年、幸福の意味を分かち合う手段を見つけた私と、音楽の道を心指し、苦しみながらそれを断念し仏門に入り、真剣に生死と向き合いながら、再び自分の血であり肉である音楽を、天上への捧げ物として取り戻したあんちゃんは、それぞれの道で悩み苦しみながら手にした恩寵を、それぞれの道のたどり着くべき目的が一致した、このような場でのみ手渡すことができるのです。

5年の時を経て再集結した私とあんちゃんは、日本人にとっての瞑想の役割と、日本人にとっての真実と向き合う方法を、手のひらに乗せて、あなたに差し出します。

小林 真美(チェトナ小林)

「命の重み、命への思いのこと」 #7-2014年11月
こんにちは。
ヘリンガー・インスティテュート・ジャパンのチェトナです。

ご無沙汰していました。なんと、ニューズレターをお送りするのに一ヶ月も間を空けてしまいました。

実は今、バート・ヘリンガーの本の翻訳に取り組んでいて、いつも時間に追われているような状態で、他に意識を向けて何か書く余裕が内側から湧き上がらないまま時間が過ぎていました。でも、久しぶりにちょっと伝えたい何かがフツフツと彼方からやって来た感があるので、したためようと思った次第です。

命の重み、命への思いのこと

5期トレーニング生のためのスペシャルとして開設した、ファシリテーター養成コースがこの10月に修了しました。5期トレーニング修了時に、ファシリテーターとしての技術やコツを学べる場を作って欲しいという要望に応えて、実験的に5回のプログラムを構成して作ったのですが、なかなかやりがいと手応えのあるトレーニングとなりました。

1期から5期までやって来た1年半で9回の週末という期間では、年々教えきることが難しくなっていたかなりなボリュームの内容を、時間をかけて伝えることができたのは私にしても嬉しく、納得できるものでした。
特に最終回の「コンステレーションに置けるトラウマワーク」には、締めを飾るに相応しいというレベルを越える強烈なインパクトがありました。

ファシリテーター養成コースの後半ともなると、受講生の方々の理解は相当深く、中には十分に一人でワークショップを開催できる実力のある人が何人もいるので、私が直接ファシリテートする場を極力少なくし、受講生の方々に交代でファシリテートしてもらいます。そうすると、時に不思議なことが起きます。誰かの代理人を私がすべく、何かの力に乗っ取られるかのように、誰も私を選んでいないのにもかかわらず、私に代理人のエネルギーが訪れることがあるのです。そのような時にはある種の兆候があるため、その感覚を信じます。そして、その力に身を任せ、代理人としてコンステレーションの中に私も立ちます。

そのコンステレーションはこのように起きました。個別の代理人が何を現していたかは、正確な名称としては記しません。でも、おおよそ似たような名称、役割の代理人たちだったと思ってください。

そのクライアントは、自分の人生が世界の中で立ちすくんで、まるで身動き取れないかのように停止している状態から、抜け出す必要がありました。そのとき選ばれたファシリテーターは、最も経験を積んできている人の一人でした。

何人かの代理人が部屋の中央に立てられ、コンステレーションは進んでいくのだけれど、クライアントの代理人は立ちすくんでいました。

父親の背景にあったシベリア抑留(の代理人)がクライアントの目の前に投入されると、凍り付いた場のエネルギーが一層重くのしかかりました。

そして、それは起きました。

私は立ち上がり、私がその場の中に、代理人として入る必要があることを、ファシリテーターに伝えました。

私はその時、その人の父が体験したシベリア抑留時代の、日本に生きて帰って来なかった戦友たちでした。

一人ではありません。
一つの身体に、何人もの思いが次から次へと湧き起こっていました。

シベリア抑留としてその場に入れられた代理人は、その名称に象徴された共産主義だったのか、人間を非道に扱う意図だったのか、明確化はされなかったけれど、それは確かに巨大で邪悪で、クライアントを睨みつけ、囲い込み、がんじがらめにしていました。

立ち上がった私は、背筋を伸ばし、胸を張り、シベリア抑留の目を凝視しながら、ゆっくりとシベリア抑留とクライアント(の代理人)との間に、自分の身を割り込ませて行きました。

そして、背中でクライアントを後に押し出し、シベリア抑留から離していくのです。

自分はシベリア抑留と対峙して立ちました。

じりじりと背中でその人を自分の後方に押し出し続け、自分がシベリア抑留と真正面から向き合って仁王立ちになった時に、恐ろしいほどの大声が私の腹からほとばしり出ました。

「お前の好きにはさせん!!」

「俺たちの子供だからな!おまえごときの好きになどさせん!」

「俺たち全員の子供だからな!お前の勝手になどさせてたまるものか!!」

何千人、何万人かの思いが私の身体の中から爆発したかのようでした。

クライアントのご尊父は、シベリアからかろうじて生き延び、奇跡の確率で命からがらご帰還された方です。
コンステレーションの中で、ご尊父ご自身は生きて帰るだけで、生命の全てを使い果たしてしまったまるで抜け殻のようでした。

しかし、その方の子供であるクライアントを、シベリアの彼の地から、日本の男たちは、当時二十歳そこそこだった若者たちは、命をかけてこの国を守って戦った日本男児たちは、生きて日本の土を踏んでくれた同胞の子供を、自分たち全員の子供として、ご尊父にできなかったことを代わってするかのように、今も守っているのです。

今なお盾になって、感傷に浸るな、自分たちの屍も、父親の屍すらも踏み越えて進め、自分の人生を生きろと叱りつけながら、進ませようとしてくれているのです。

共産主義なのか、シベリア抑留なのかわからないそれは、ニヤニヤと笑いながら、まだやれるとつぶやいていました。

しかし、戦友たちは「だまされるな!」と叫んだのです。

よく見ろ!
あいつらはもう動けなくなっている。
口先だけだ。
だまされるな!

目覚めよ!

その愛は非情で、凄まじく深い。

生きよ!
生きよ!
生きて人生を全うせよ!
それがこの戦争を終わらせることである。

その後、このコンステレーションは、しかるべき結論に向かって進んでいきました。

それは今も現実の中に融合し、そのプロセスは進行しています。

だから私がこのコンステレーションの結末を書くことはありません。私が感じとったものの一片を、少しでも伝えることができたらと思い、ここまでを書かずにいられない気持ちでした。

私たちが真の歴史、背景を調べることで、私たちを縛っていたものはその力を失っていきます。

しかし、私たちが油断するやいなや、奴らはその場で耳元にささやきます。

「お前は失敗する運命にある」

だまされるな!
目覚めよ!

生きよ!
生きよ!
生きて人生を全うせよ!
それがこの戦争を終わらせることである。

それがシベリアの地で朽ち果ててでも、今なお日本を守っている男たちの供養になると、私は自分の細胞に走る戦慄を通して知るのです。

「お前の好きにはさせん!!」

「俺たちの子供だからな!」

「おまえごときの好きになどさせん!」

「俺たち全員の子供だからな!」

「お前の勝手になどさせてたまるものか!!」

今でもこの言葉は折にふれ、私の身体の中を駆け巡り、私を圧倒します。

今、日本に生きている日本人全員に、彼らが贈ってくれた言葉です。

この記事はいずれ、私のブログや、フェイスブックに転載する予定です。
無断転載、無断転用を禁じます。
© 小林真美-ヘリンガー・インスティテュート・ジャパン Nov/2014
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戦後世代のためのファミリー・コンステレーション 2 ~ 私たちの共通項 ~
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小林 真美(チェトナ小林)

「まだ大丈夫はほぼギリギリか、すでにもはや」 #8-2014年12月
こんにちは。
ヘリンガー・インスティテュート・ジャパンのチェトナです。

12月になってしまいました。ものすごいスピードで時間が飛び去って行きます。

私が毎年、身体の調整をしてもらっているロルフィングのプラクティショナーの方が、このように言っていました。「1歳の赤ちゃんが5歳になるのと同じスピードで、5歳の子が10歳になるのと同じ勢いで、私たちも年を取っていっているのです。」改めて考えると、成長のスピードとは、老化のスピードなわけで、その言葉を思い返す度に、私もすごいスピードで、すごい勢いで成長していっているのか!と、焦る次第です。

まだ大丈夫はほぼギリギリか、すでにもはや

かつて、結婚適齢期という言葉がありました。
女性は25歳まで、男性は30歳まで、そんな時代もあったのです。

この頃、私のところに寄せられる悩みは、「結婚できません。相手が見つかりません。容姿も悪くないし、性格だって良し、真面目に誠実に物事に取り組むし、仕事もちゃんとしてきている。でも、彼氏ができません。できても結婚の意志のない人で、自分の何が間違っているのかがわかりません。」そのような言葉を、たくさんの40歳過ぎの女性から聞くのです。

見た目もいい感じ、性格もいいし、真面目で能力の高い男性が、その能力と全く不釣り合いに自信を持っていません。人を信頼し、人に信頼されるに値する自分だと、全く自分を捉えることができていなかったりします。

その親の世代では、「私は真面目に生きてきました。親も大切に思っているし、家族も大事にしてきました。なのに、子どもは仕事はしてるけど、彼氏を作るでもないし、彼女を作るでもないし、結婚しそうな気配がありません。」

そこに私は、そのようなことをいう人の自尊心の低さや、人生の目的を見失っていること、そして、この程度でいいやと妥協しかかっている状態を見ます。

私は、戦争の影響の可能性を示唆するのですが、まさかそれが自分に関係があるなどと、聞く人は全く解せない表情を浮かべます。

それについてよーく話して、細かく説明していくと、そんな昔のことなんか私の問題に関係ないもーん、とばかりに避けようとしてみたり、右から左に抜けて行ってしまっていたものが、だんだん腑に落ちる感覚と繋がっていき、実は想像以上に事態は深刻なんだということに気がついていきます。

個人セッションであれば、コンステレーションを立てれば一目瞭然となるので、本人はもはや目を背けることができなくなります。

「私はちゃんと歴史も知っているし、自分の国を愛しているし、それが自分の問題と直結しているとは思いません」と言っていた人が、ある瞬間、真顔になり、人によっては真っ青になります。

歴史を知っていても、愛国者であっても問題を維持し続ける仕組みがあり、そこから抜け出ることは、よっぽどのきっかけがない限り容易ではありません。

気づいてください。
心底、気づいてください。

まだ、大丈夫と思っているうちに、誰も彼もが、家庭を持つタイミングを失い続けているのです。

そして、あなたは40歳を過ぎ、気づくと50歳になり、あなたは、あなたの子どもは家族を持たないまま、定年を迎えるのです。

戦争の影響が自分にもいまだにあるなんて聞かされて、もし、なんらかの不快感がわずかでもあるなら、一度こちらで、点検してみることをお勧めします。

2014年最終ワークショップ
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小林 真美(チェトナ小林)

「自分」 #9-2014年12月
こんにちは。
ヘリンガー・インスティテュート・ジャパンのチェトナです。

もしかしたら、これは今年最後のニューズレターかも知れません。
来年からは出だしの言葉を「チェトナです」から「小林です」に変えようかとただ今思案中デス。なんだか小学生の手紙みたいかなと、ふと思いまして。

翻訳も終盤戦に入り、肩こりもピークの今日この頃。ここ一ヶ月以上、ほとんど家にこもって机に向かっているような日々で、家から出るのは週に1回か2回、食品の買い出しに行く程度の毎日を送っているため、完全に筋肉が衰えています。何もないところでつまずくようになり、昨日は郵便物を取りに出て、玄関前で転んで手を擦りむきました。(泣)皆さん、運動不足に気をつけましょう。

翻訳をしている中で気をつけなくてはならないこととして、外来語をカタカナのまま使うのではなくて、できる限り日本語にちゃんと訳すということがあります。カタカナのままだと、わかったような気がしているだけで、実は意味を曖昧に捉えているだけということが良くあるからです。そのように気をつけて作業を進めていくと、実はこれまで言葉と真面目に向き合ってきていなかったと気づくことが多々あります。そこから思い至ったことを今日はつづります。

自分

外来語というのは厄介なもので、日本人の感覚にない言葉がたくさん存在しています。

言葉は私たちが漠然と抱いているイメージに、輪郭を与え、色付けし、明確化し、そして、制限し、暗示し、他者と関わらせます。

私たち日本人が「山」という言葉で思い浮かべるものと、アメリカ人が思い浮かべるものが全く違っていることがあります。またアメリカ人であってもアイダホの人が思い浮かべる「山」と、コロラドの人が思い浮かべる「山」では違っているかも知れません。

例えば、リラックスという言葉を日本語に置き換えようとすると、「寛ぎ(くつろぎ)」とか、「緩む(ゆるむ)」とか、「和らぐ(やわらぐ)」であったりするのですが、例えばこれら三つの言葉は、私たちが「リラックスする」と言ったときの感覚とぴったりくるでしょうか?

シアトルに住んでいた頃、友人たちと山歩きに行った時に、私たちが森に向かって歩き出したところ、ちょうど森から帰ってくる犬を連れた女の人とすれ違いました。その人は「熊がいたわよ」と教えてくれました。
一緒にいた友人たちは「へえ〜、ありがと」とか言っちゃって、どんどん森に入って行こうとするのです。

私はすくんで、足取りが重くなっていき、友人たちが冗談を飛ばしながら、どんどん歩いていくペースについて行けなくなり、とうとう一人が「どうしたの?」と尋ねてくれました。

「だって熊を見たって言っていたでしょ?このまま森に入ったら出くわすかもしれない」

友人たちは目が点になっていて、笑いながら「ダイジョーブ、ダイジョーブ、ノープロブレム」とか言っちゃってくれるのですが、私の目は恐怖にどんどん死んでいく。

北海道生まれの私が思い浮かべる「熊」はヒグマであって、ツキノワグマではありません。

友人たちが思い浮かべていたのは人間程の小型種のブラックベアで、私が思い浮かべていたのはヒグマと近い種のグリズリーです。

結局、その散歩道でその女性が見たのはブラックベアで、グリズリーじゃないから大丈夫と説得されて、そのまま生きた心地なく散歩し、結果私は生きて帰って来て、今これを書いている訳です。

これは同じ「熊」という言葉から、聞く人によってこんなにも思い描くものは違うのだー! と実感した経験の一つです。

地域や文化、習慣、生い立ち、経歴によって、想像したり、想定したりするものはとても変わります。

翻訳をしながら思うのは、江戸時代後期から明治時代初期に、外国語を日本語に置き換えていく作業をされていた方々の苦労です。

例えば、「社会」という言葉も、「個人」という言葉も、また「恋愛」という言葉も、その頃の日本にはありませんでした。(※参照:岩波新書「翻訳語成立事情」柳父 章著)

日本にあった「社会」に近い言葉は「寄り合い」だったり、「世の中」だったり、また「個人」に近い言葉は「人」だったり、「ひとりの人」だったり、「社会」と「個人」が対立する構造だったのに対し、元々、日本にあった「寄り合い」や「人」と言う言葉の意味そのものが、対立ではなく、肩を寄せ合い、支え合う構造を為しているのです。

こんなにも発想が違うのに、人はどうやって理解し合うことが可能なのでしょうね。

ここのところ私が思い巡らしている言葉に「自分」があります。

戦後の教育を受けた日本人には、お互いがお互いを信用できなくなるように、それこそ寄り合いが消滅させられるような分断化が進みました。

個人主義こそ欧米化!みたいな風潮があり、私たちの多くはそれをかっこいいと信じて大人になりました。

そのことを思い巡らしているうちに、そういえば「自分」という言葉は「自らを分ける」という意味なのか? と思い、一瞬寒い気分が背中を走りました。

自己主張し、わかってもらいたがる人が増え、自分のことにしか興味のない人がたくさんになると、確かに「自分が」「自分が」と、個としてバラバラに分断されていくような気がして、まさか「自分」って言葉も元々日本になかった言葉なのか?などと考えてみたのですが、それはどうもしっくり来ません。

それで、本を何冊か読みあさってわかりました。

かつて使われていた「自分」という言葉の意味は、「自らの分を弁(わきま)える」なのです。

分相応であり、背伸びもせず、卑下することもなく、身の丈で生きるのが「自分」だと私は理解しました。

果たして、今の私たちの使っている「自分」の意味は、どちらになっているのでしょう。

私たちは自らを家族や、友だちや、同僚や、世の中や、生まれた育った土地や国、神々から分けて、切り離していないでしょうか。

私たちは自らの分を弁(わきま)えて、身の丈にあった大きさで生きているでしょうか。

お父さんとお母さんの子供で、おじいさんたち、おばあさんたちの小さな孫で、兄や姉より小さく、弟や妹より大きい、自分の子どもたちや、地域に育つ幼い命を見守ることのできる、先人に恩や感謝を感じることのできる大人として、今を紡いでいるでしょうか。

私たちは・・・今どちらの自分を使っているのでしょうね?

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© 小林真美-ヘリンガー・インスティテュート・ジャパン Nov/2014
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小林 真美(チェトナ小林)

「年齢不詳」 #10-2015年3月
こんにちは。
ヘリンガー・インスティテュート・ジャパンの小林です。(今回から出だしをカタカナの名前から名字で始めて見ました。)

なんと、これが今年最初のニューズレターとなってしまいました。
1月、2月と書いたような気になっていたのです。今、ちょっと自分が書いていなかったことを知ってびっくりしてショック状態です。新年のご挨拶すらしていなかったかと、自分にガックリ、アルファベットで表すと、orzです。

おひな祭りです!さて、気を取り直して、今思い浮かんでいることを書き始めることにします。

年齢不詳

ひな祭りと何の関係もないです。

久しぶりにテレビをつけて観ると、びっくりするほど礼儀も言葉遣いもなっていない、1年が12ヶ月あることを、まともに数えることができないほど頭の悪い女子高校生が、ちやほやされる番組が画面上に流れていました。

AKBとかHKTとかSKT(これら3文字も正しいかどうか知りません)とか、NHKだかUFJだかUSJだかなんだかもはやわかりませんが、歌を聴かせる歌手がいつのまにか消え、学芸会のような幼児退行を起こした衣装のいい歳をした大人の女性が、集団でお遊戯をしているのがテレビでは普通になっているようです。非常に違和感を覚えます。これでいいのかな。

かつて、早く責任ある大人になりたいと言う子供達はたくさんいました。まあ、だいぶ前ですけど。

今は、いつまでも子供でいたい大人と、いつまでも自分を子供だと勘違いしている大人で溢れています。

実際の自分の年齢より、最低でも15歳から20歳くらい、自分を若いと間違えているのではないかと思う人がたくさんいます。そして、その人たちは本気でそう思っています。

40歳くらいで社会に出て行くことが怖いとか真剣に言います。って言うか、出ていないとあなたは思っていますが、その状態の社会をあなたが今まさに創っています。

いやいや、そうやって怖がって、社会に属していないという幻想に浸っている内に、あなたもうあっという間に50歳60歳です。でも、そうやって怖がりながら60歳になった人たちも、自分にはまだ余裕があると思っています。だって、頭の中ではその人はまだ40歳くらいですから。

そして、70歳くらいになって、徐々に身体が思うように動かなくなり、ある日突然、実年齢に気づきます。あれ? この20年、いつも20年分くらい、生きていなかったような気がする。

これは実は笑い事ではなく、非常に深刻なことが起きています。

これは晩婚化、少子化、鬱や自殺の多発と繋がっています。

とても多くの人に見られるこの現象に関して、コンステレーションの現場を通じ私が実感したことは、これはトラウマによるものでも、心理的な問題でもないため、セラピーでどうにかなるものではないということです。

これは教育によって思考が方向付けられた結果です。

これに対抗するための方法は、自分への再教育しかないのではないかと思っています。

まずは何が起きているのか知ることです。

興味のある方は、ネットで「日本人愚民化政策」で検索してみてください。「日本人愚民化政策」という言葉は、テレビや新聞では使用してはいけない禁句扱いの筈です。この言葉を知る人が増えては困る側が規制しているのでしょう。

今、この問題への対抗策を研究しています。

セラピーで対応できることと同時進行で、自分への再教育をしていかなくては、自分でトラウマを再生産する仕組みを私たちはどうも持っているようです。

この頃のワークショップやトレーニングは、もっぱらその二つを同時に行うものになっています。

大人として自分の人生に責任を持つことがどれほど楽で、軽やかなものかを知らなくては、漠然と「責任」という言葉を雰囲気だけで怖がり、大人として生きることを嫌がる夢から覚めることはできません。

夢の中に留まり続けるよりも、現実に今を生きる方が数百倍楽なんですけど。

断言します。
夢を見続ける努力を無意識にでも続けているより、現実の荒波に揉まれる方がよーっぽど楽です。

小林 真美 (チェトナ小林)
ヘリンガー・インスティテュート・ジャパン

「私たちは楽器」 #13-2015年5月
こんにちは。
ヘリンガー・インスティテュート・ジャパンの小林です。

前回のニューズレターで、あんちゃん(藤岡延樹氏:真宗のお坊さん、ミュージシャン、セラピスト)を招いてのトレーニングの模様などをつづりました。そのことと関連する、5月9日の私のブログ「川辺にて思う/YouTube で・・」に掲載したものの続きをお見せしたいと思います。あの5月9日のブログでお見せした私の YouTube 画像は、あんちゃんに瞑想指導を依頼することになるきっかけの前段階を表したもので、あの映像は、あんちゃんの演奏の直前までをお見せしています。今日、ようやく全編をお見せすることができます。

残念ながら、ノイズはずっとあります。演奏をお聴かせするための収録ではなかったこと、また、当時使っていたカメラの集音マイクではこの音質が限界でした。

どうぞ、ノイズの向こうの音色を聴いてください。
私たちは楽器

1期のトレーニング開始以来、これまで様々な分野の、有名無名の人たちがトレーニングに籍を置き、学びをともにしてきています。

私の古いブログを読まれた方はご存知と思いますが、私はそもそもファミリー・コンステレーションのファシリテーターになりたいとか、トレーナーになれるとか、なろうとか計画してなった訳ではなく、すべて私の判断を超えた、人との出会いに導かれて今、ここに至っています。

その中には、インド人瞑想の師匠・和尚ラジニーシがおり、バート・ヘリンガーがおり、1期トレーニングのメイントレーナーのハラルド・ホーネンがおり、たくさんの先輩方、先生がいるのですが、同時に、私にはないたくさんの才能に恵まれた、トレーニング生の皆さんから助けてもらったり、教えてもらったり、導いてもらったことも、今の私と、現在のトレーニングの質を作ってくれたことを、私は忘れていません。

今回、この映像でご紹介した演奏の中を流れる瞑想は、それら多くの人たちの中の才能という花の一片の花びらに過ぎません。
多くの美しい花がその才能をトレーニングの中で分かち合い、お互いに切磋琢磨して、それぞれの進むべき道を応援し合う場をともに作り続けています。

あんちゃんに限らず、1期トレーニングからずーっと学びを継続してきて、私の最初のワークショップをオーガナイズしてくれたT木M子さん、ずっとひたむきに打ち込んできているN村N子さん、すごくたくさんのヒントやサポートを貰っています。

初期のトレーニングの初回、「僕はゲイです。ですから、セクシャル・マイノリティに対して、偏見、先入観に基づいた言動には注意してください。尊重してください」と、自己紹介してくれたIミン、尊厳というものを目の当たりにさせて貰いました。

私に紫翠苑という更正保護施設との縁を結んでくれたF田さん、これほどまでに、自分の能力の限界に挑戦し続けなくてはならない環境を与えていただいたおかげで、私は決して思い上がることができず、常に戒めとともに生きていけます。

私が戦争とコンステレーションとの関係を、どこから研究し始めて良いか解らず、手探りで、やみくもに、とにかく何かを始めようとしていた時に、自分がセラピストとして得てきた貴重な知識と経験を、惜し気もなく私に与えてくれたM・A子ちゃん、最も重要なことがクライアントを助けるためという、あなたのぶれない芯が私を信頼してくれたことに、私は今も思い出す度に感動しています。
あのとき教えてくれたことがヒントとなって、現在の研究成果に至る大きな手がかりを得ました。

ここで、例に挙げることができる人数は本当に限られています。
今も、密に繋がっている人たちは、他にもたくさん、たくさん、たくさんいます。
書き始めると本が何冊か書けてしまうくらいにエピソードがあるため、これ以上は書きませんが、もちろん、中には後ろ足で砂をかけるようにして、去っていった元受講生もいます。
その人からも私は学びました。

振り返ると出会いのすべてが私に力を与え、私を構成しています。

外から見ると、私がどのような距離感で、人との縁を見ているか解らないのは当然です。

時々変なことを言う人がいるので、あえて表明しておきますね。

私が過去に在籍したトレーニング生の特定の誰かに対して、競争意識をもったり、比較したり、対抗意識をもったり、悪意をもったり、その人の道においての成功を望んでいなかったりと、私が良からぬことを考えていると想像する方がいらっしゃいますが、それらはみんな、想像している人ご本人が自身の中にお持ちのものの投影で、私には何の関係もありません。

私は自分の仕事の、次にやらなくてはならないことが山盛りで毎瞬迫ってくるので、そんなことに構っている暇がありません。

* * * * *

小林 真美 (チェトナ小林)
ヘリンガー・インスティテュート・ジャパン

「恋愛至上主義と結婚」 #15-2015年8月
こんにちは。
ヘリンガー・インスティテュート・ジャパンの小林です。

最低でも毎月1回はニューズレターをお送りしようと目論んでいたのですが、6月から7月末にかけて出版前の仕上げの作業が怒濤のように押し寄せていて、とうとう7月は一度もニューズレターに着手できませんでした。なんとも申し訳ありません。

脳の中に思い描いていた自分像では、私ったらものすごく切れ味よく、翻訳も校正もサックサクスッパスパ仕上げていっていたのですが、実際の私は髪を掻きむしりながらアウーッ、とか叫んではのたうちながら、机に自分を縛りつけていたため、翻訳校正以外には一切エネルギーを向ける余裕がありませんでした。ごめんなさい。

とにかく、今持てる力を振り絞って、ようやくその本を作り上げました。バート・ヘリンガーを一躍世界的に有名にした原点とも言うべき書が、9月1日に発売されます。

恋愛至上主義と結婚とその人の結婚観について

ここのところ思い巡らしていたことがいくつかあるのですが、まだとりとめがなくて、お見せするに値するものかどうか、今ひとつ悩むところですが、それにしても、何について思い巡らしているか、その内の一つだけでも書きだして見ることにします。

先日、友人と話をしていて、その人の姪御さんが37歳にして彼氏もいなさそうで、結婚する気配が薄くて心配になると耳にしました。私も知っているのですが、非常に真面目で、仕事熱心な、とても綺麗で素直なお嬢さんです。純粋培養みたいな女性です。その友人の心配を聞いてから、私もあれこれ心配して考えています。

恋愛至上主義が世間を席巻して、浸透して、かれこれ70年経っておりますが、そもそも恋愛結婚に向いていない人も存在するということを私たちは視界から消しているのではないか、と最近気づきました。

たとえば、恋愛に憧れてみるとか、妄想してみるとか、それって普通のことのようですが、本当にあなた自身が真に望んでいることなのでしょうか?

ある男性たち、ある女性たち(もしかしたらほとんど女性?)は、いつか、夢のような素敵な出会いが自分に降ってきて、このありふれた日常から連れ出してくれると、その日が来るのを待っています。10代や20代ならいいのです。でも、40歳前後でそれはどうなんでしょう?

でね、日本の路上や、お宅の玄関口に、白馬に乗った白いタイツをはいた王子さまは似合わないんですよね。ドレスを着てスーパーマーケットに行くと棚のものをひっかけて不便ですよー。それに、白いタイツの王子さまとドレスのお姫様が40歳前後ではあまり絵にならないんですね。

ここ何十年も、日本全国津々浦々、多くの人が恋愛でなければ結婚できないというような、脅迫観念じみた幻想に縛られているのではないかと思うのです。

例えば、かつてはお見合いという制度が生きていて、縁あって出会って、結婚してからお互いに愛情を抱き合うという過程も、そうしてできた家庭も幾つもあったのです。

そして、近所や親戚にはおせっかいで面倒見のいいおじさん、おばさんがあふれていて、20代半ばで独り身の娘や息子がいると聞けば、どんどん知り合いの親戚縁故を紹介してくれていました。なので、積極的でなくても、口べたでも、人見知りでも、世話焼きな大人たちがなんだかんだと出会いの場を設けてくれていたおかげで、多くの人たちは縁に恵まれて、家族を持つことができていたのですが、個人主義と恋愛至上主義が行き届いて、現在ではそのようなおせっかいで面倒見のいい大人たちは絶滅危惧種に指定されています。

果たして自分が恋愛に向いているかどうか、奥手な人、恥ずかしがり屋な人、真面目すぎる人、恋愛の数は多くても同じ数だけ失敗するのが上手な人たちは、自分を振り返って見てもいいかもしれません。

それから、恋愛上手と自分を思っている人も、何を持って恋愛上手なのか、恋愛の目的とはなんなのか、もう一つ突き詰めてみてもいいかもしれません。

何年か前の話ですが、欧米人たちと雑談していたときに、ある白人男性が「女性は相手に愛情を抱いてから性行為に行き着きたいと願い、男性は性行為の後で相手に愛情を抱き始めるものだ」と言うのを聞いたことがあります。

そのときは、「へ〜、そうなの?」ってあまり深く考えなかったのですが、後で思い起こすととても奇妙に感じました。それって一般的なことなのでしょうか?

その人が男性全員の代表とも思えないし、また白人男性はみなそうだとも思いません。もし、そうだとしたら、戯曲の「シラノ・ド・ベルジュラック」の物語は成り立たなくなってしまいますからね。

また、西欧の文化の変容もすごい勢いで起きています。

これもまた数年前にオーストリアの知人から聞いた話ですが、(ヨーロッパの他の地域でもそうなのかは知りませんが-もう書いたかな?)今時の若い男性と女性は一緒に住んでも、子供を作っても結婚しなくなっているそうです。社会保障が行き届き、籍を入れても入れなくても待遇が同じになってしまったので、結婚の意味が失われてしまっているそうです。

ん〜〜〜〜〜、何か疑問を感じます。

西欧で起きていることを、かつては先進的だと何でもかんでも導入すればいいという風潮が日本にあった時期もありましたが、今はそんな時代ではなくなっています。

彼らの社会に起きている変化が日本という国土や、民族性に合っているかどうかは、う〜〜〜む、はなはだ疑問です。

男性の純情や、無垢な愛、無償の愛をどうも私は信じているようです。
あの、さももっとも風な解説は、すれちゃった中年のおじさんの自己正当化だったのかな?
でも、そう思っている男性も確かにいるとしたら、女性もきちんと見分けることができる目を持たなくてはなりません。

問題というのは、自分に対しての思い込みです。
自分はこうだ、こういう人間であると信じていることが、私たちに大きな制限を与えます。

しかし、その思い込み、セルフイメージはどこから始まっているのでしょうか。

また、自分の判断力という軸が正しいかどうか、何によって確信できるのでしょう。

もし軸が不安定であれば、大量に入ってくる情報に私たちは翻弄されてしまうことになり、自分自身に合っているかどうかも考えずに、流れ込んでくる情報を鵜吞みにして、自分像だと勘違いして信じてしまうかもしれません。

今もしも、結婚に憧れを抱いていて、現実に相手もいない状態で、ステキな出会いを夢見ている人は、自分が果たしていわゆる恋愛に何を求めているのか、ちょっと点検してみてはいかがかなと、世話焼きのおばさんは思ってみる次第です。

長くトレーニングを受講し続けている古参のトレーニング生のある方は、私のことをお節介おばさんではなく、近所のカミナリオヤジだと称しましたが、そちらも絶滅危惧種ですね。

* * * * *

小林 真美 (チェトナ小林)
ヘリンガー・インスティテュート・ジャパン

「愛の価値+映像」 #16-2015年9月
こんにちは。
これが配信になるのは“こんばんは”の時間かもしれません。
ヘリンガー・インスティテュート・ジャパンの小林です。

月に1度、ニューズレターを発信するのが目標なのですが、目先の諸々のことを追っかけているうちにひと月なんていうのはあっと言う間に飛び去っていくもので、今回も9月は書きそびれてしまったかと焦ってカレンダーを見たらギリギリ9月29日でした。ギリギリ間に合ったとホッとしていいという問題ではないような気がしますが、どうぞお許しくださいませ。それでも待っていてくださる読者の皆様、本当にありがとうございます。

とりとめのない個人的な気づきを披露することには未だ気恥ずかしさも、躊躇も感じるのですが、もしかしたら共感してくださる方もいるのかと思い、自分を叱咤しつつ書かせていただきます。

さて本題です。今回は4期トレーニングの記録からの映像をご覧いただきます。
愛の価値

コンステレーションのワークショップの後、またはトレーニングの基礎段階の過程で自分のコンステレーションで大きな問題を乗り越えた後に、人は悲しくなったり、やるせなくなったり、虚しくなったりすることがあります。

それまで背負ってきた苦しみを手放し、重荷を下ろした時、苦痛や傷や重荷を背負わなくても生きることが可能だということを知ってしまうと、これまでの私の人生とはいったい何だったのか、これからどうやって生きていいかわからない、ここまで耐えてきた私の人生を返して!といった気持ちに駆られることがあります。

苦しみや重荷を背負っているときには、辛くても張り合いがあり、何かに貢献している、役に立っているという手応えを、私たちは内心密かに感じています。

しかし、苦しみを手放すことが可能だと目の当たりにしてしまうと、自分が人生を無駄にしてきたような寂しさや悲しみに襲われることがあるのです。

そのようなやるせなさ、寂しさや悲しみとどのように対処したらいいか、心境の変化に向きあうためにどのように捉えたらいいかについて映像では語っています。
もしかしたらその方法はどのような関係性にも応用できるかもしれません。

例えば、今までのやり方が通用しなくなったという状況を想像してください。
パートナーたちが別れに直面する時、仕事の方向性が変わり今までの自分のやり方が通用しなくなった時、自分で選択した筈なのに途中で興味を失ってしまったプロジェクトや、誰かに裏切られた時など。

そのような時、私たちはその対象を悪者にします。
その対象の、思いつく限りの難点を列挙することで、自分が距離を置き始めることを正当な行為として自分を納得させようと努めるのです。

相手に、その対象に魅力がなくなり興味がなくなったとか、もう価値がないとか、自分が手を引くのは相手が悪いからだと思えたら、私たちの気持ちは少しだけ楽になります。

私たちには忠誠心や執着があるので、それまで馴染んでいた方法、そういうふうに家族に貢献してきた生き方や、それなりにうまくやってきた相手、職場に対して、自分が別の方向、新しい方向、新しい生き方に引き寄せられ始めたことを自分で認めようとする時、なんとか正当化しなくては心苦しく感じます。

そこにとどまる理由が自分にはもはやなくなってしまったと、ただ自分を受け入れるのはなかなか困難です。

時間とエネルギーを費やし出来上がった調和、保たれているバランスを崩さなくてはならなくなったとき、そこには大きな悲しみや、喪失感、寂しさが生じます。

それを相手や対象を貶めることなく、その価値を下げようとせず、その悲しみも喪失感も、寂しさも一切矮小化することなく、感じ切ることには大変な勇気が必要です。
しかし、もしもそれらをただそのままに感じ切ることを自分に許したなら、あなたの失ったものはその価値を保ち、あなたも自身の尊厳を保つのです。

それは双方にとって新たな可能性の扉を開くものとなります。

手放す痛みを感じ切るのは辛いです。
それには覚悟がいります。
でも、もしそうしたなら、その後には全く新しい見方、感じ方が待っています。

* * * * *

小林 真美 (チェトナ小林)
ヘリンガー・インスティテュート・ジャパン

「セルフイメージ」 #17-2015年10月
こんばんは。
きっと大半の方は、夜にこれを読んでくれているのではないかと思います。
ヘリンガー・インスティテュート・ジャパンの小林です。

10月25日は十三夜だったそうで、少しだけ欠けた美しいお月夜でした。そのあとの数日間、浮かぶ円い月はとても大きく、幻想的な輝きを放っていました。

来年度のトレーニングの募集を開始したので、ちょっとトレーニングのことを書きます。

セルフイメージ

私が提供しているトレーニングは、過去にもどこかで書いたことがありますが、癒しを提供する場ではありません。もう、ごめんなさい。優しさのかけらもない書き方で一刀両断。

どの期のトレーニングであっても、毎回、3日目の最終日を終えると、多分その場にいる人は誰も、明るく、楽しく、ハッピーといった気分にはなっていません。その代わりに、おそらく全員が自分の内側に静けさや、厳かさ、湧き上がる深い感謝を感じています。

私の仕事は、コンステレーションの手法を駆使しながら、本人が思いこんでいる「自分とはこういう人間なんだ」という、セルフイメージを壊していくことであり、真っさらになったそこに新しいイメージを外側から植え付ける代わりに、長いこと眠っていた本人の内側にあった種子が発芽し、育ちやすいように環境を作っていくことにあります。

いわばセルフイメージとは、本人という種子が厳しい環境を生き抜くために、種子を守るために作りあげた殻のようなものです。しかし、本人が自分の力で生きようとし始める時に、その殻が本人の成長を妨げるということも起こりえます。

人が変わりたいと思うのは、苦しいときや辛いときです。辛い自分、苦しむ自分から脱却するために、なりたい自分を思い描いて、その新しい自分像を自分に植えつけたり、塗り替えたりする方法を編み出して、教えている人もいますが、私はどうもそういうのは苦手です。

お金持ちになろうとか、モテようとか、成功を手にしようとか、カッコ良くなろうとか、美人になろうとかいうセミナーの類は数々あります。

けれど、表層意識に押し付けたそのようなイメージが、自然でのびのびとした本来の姿とかけ離れているとしたら、いずれ本人は息苦しくなっていくのではないかと、私は自分の経験から思うのです。

例えば、
ある人は全く事務的な仕事に向いているとは私には感じられませんでしたが、でも芸術的センスに溢れていて後に素晴らしい開花を見せてくれました。

ある人は一攫千金を狙ってビジネスを立ち上げたいと夢想しているけれど、その人がかもし出す空気は温かく人を包み込むような力があり、前のめりでグイグイビジネスを起こしていくというよりも、人を支え、人の役に立つことを考えるほうが自然に見えるという人もいます。

また、ある人は超ウルトラ級に気配や雰囲気、霊的に感覚が鋭敏で、何でもかんでも感じ取り過ぎることで、自分はおかしいのではないかと苦しんでいます。

そのような人に必要なのはセラピーではなく、その能力の適切な使い方を知ることだけだったりします。

その人たちの能力は、それら自分に抱いているセルフイメージに照らし合わせると、役に立たない邪魔なものとして取り扱われていることが多々あります。
そして、その理想としたイメージと現在の自分を比較することで自分がダメな奴に思えてしまい、自分を卑下し、劣っているように思うことがあります。そうなるとそのセルフイメージは有用というよりも、その生命にとって有害です。

かつて私は自分が嫌いで嫌いで仕方がなかったときに、自分を変えたいと強く思い、変わる努力をなんども繰り返していましたが、結局すぐに自分自身に嘘がつけなくなって、元の木阿弥に戻っていました。

システミック・コンステレーション、ファミリー・コンステレーションのトレーニングでは、そのようなセルフイメージを変えようとするのではなく、その対極に当たるようなことをしています。

トレーニングの中で繰り返し行っていることとは、今、生きることが辛く苦しいのであれば、その辛さ、苦しさこそが、その人の生命が何かを教えようとして、私たちが気づくように送ってくれているシグナルとして捉えます。

そのシグナルのメッセージを解読する方法を習得してもらうために、私は様々な技法を提供します。一人一人にその人なりのやり方で習得してもらいます。

その辛さがどこから来て、何によって苦しく感じるのか、そしてどのようにそれと向き合うと、自分をより強く感じることができ、自分を好きになって、自分に寛ぎ、自分を信頼し、自分をあてにできるようになるか、それを身体感覚で会得するために、様々な体験を積み重ねてもらいます。

「子供の頃に虐待されたので私はこういう人になってしまったの」とか、「親がああでこうでこんなだったから、私は人間不信です」とか、「ひどい傷つき方をしたので、もうパートナーは無理です」とか、「叔父が戦時中に餓死したので、自分は意地汚いんです」とか、

自分はこういう人間なんです、と説明しているふりをしてすべて言い訳として使ってきた、自分が変わらないでいられるようにそのままを維持して済ますために編み出したこれらの数々の魔法の呪文は、トレーニング最初の基礎コースの1年が終わる頃には、口に出すと自分でいささか抵抗を覚えるようになり、2年目の研究コースが終わることには、使う必要を感じる瞬間が激減していることに気づくでしょう。

愚痴も、言い訳も、ぼやきもメッセージであり、シグナルとして活用させていただきます。

生きることとは辛いだけでもなく、苦しいだけでもなく、それらのコインの裏側には喜びも刻み込まれており、幸福も感謝も描かれていることに、恐る恐る受講生は閉じていた羽を広げて感じ取っては、それを力に変えて、羽ばたく練習に使っていきます。

辛さや苦しみを受け止めても、耐えることができ、そこから自分の力で美しいものを感じ取り、創り出すことができると知っていきます。

辛さや苦しみがなくなることはありません。

でも、それらを避けようとしなければ、そこには同じだけ喜びや幸福もあります。

苦しさや辛さ、悲しみから逃げようとすると、喜びや幸福感、愛よりも深く尊い、祈りのようなその感覚もあなたの手の届かないところへ遠ざかっていきます。

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小林 真美 (チェトナ小林)
ヘリンガー・インスティテュート・ジャパン

「幸福」 #18-2015年11月
こんにちは。こんばんは。ごきげんよう。
どの時間帯に読んでいただいてもこの三つがあればきっと大丈夫。
ヘリンガー・インスティテュート・ジャパンの小林です。

綺麗なお月夜の11月27日、大阪入りいたしました。

私にとっては久しぶりの大阪でのワークショップです。
初めて訪れる、心を込めて作り上げられた会場に、私も何か胸の高鳴りを感じながら、ワークショップが始まり、濃い、濃〜い2日間を終えました。

今回のこの大阪ワークショップでは特に何もテーマを決めていなかったのですが、あまりにも多くの参加者に共通する問題があり、気がつけばまるでいわゆるアラフォーの痛みと苦悩が炸裂する2日間となっていました。

私はここで、時間との戦いを繰り広げるのです。私自身の時間との戦いというのではなく、参加者に、時間とは限りがあるものなのだと認識してもらうために、まるで彼ら、彼女たちの認識の許容量の限界に戦いを挑んでいるような感覚を持ってしまいました。

ぼんやりしていられるほど、私たちに残されている時間はもはやそれほどありません。

最近、思い巡らしていたこと、思い出していたこと?があります。

幸福

私にとっての幸福とは何だろうとふと思った時に、浮かんだものがありました。

かつての私は、そうなんです。
昔々の私は、自分の手にしているもの、つまり普通に住む家があり、家には屋根があり、自分の部屋があり、そこにいるのかいないのかわからないくらい存在感のよくわからない父親がいて、いつもガミガミ文句ばかりいう母親がいて、よく理解できない兄がいることになんの意味があるのかわからず、どこにも拠り所がない感覚に苛まれながら過ごす、ただただ腹の立つ毎日と、何の役にも立たない価値のない太り過ぎの自分を持て余していることが、自分にとって当たり前の日常と思っていたのです。

それで自分のことも自分の国も大嫌いだったので、ある時逃亡することにしました。

日本を出て、結局、世界を旅することになりました。
ニューヨークでの4年間、合計したら1年くらいのインドでの瞑想三昧、シアトルでの1年間、ドイツでの生活、ヨーロッパ数カ国、アメリカ数カ所、ロシアやアジア数カ国での仕事など。

沢山の挫折と躓(つまず)きを繰り返し、私は本当に知らないことだらけだと知りました。

その旅の途上で、ファミリー・コンステレーションと出会いました。この頃はシステミック・コンステレーションとも呼んでいますが。

その仕事にのめり込まざるを得ない状況に追い込まれ、どんどん没頭していきました。

そして、もっともっと自分は色んなことを知らないと、本当にわかっていないことばかりだと知っていきました。

他の国の人たちに比べて、自分は世界の地理も歴史も、自分の国の地理も歴史も、何も知らないと知りました。

それで、必死で調べました。

私の仕事にわずかでも希望を抱いて、せっかく来てくれる方々に、応えられるものがないのは自分で許せないと感じたのです。

一生懸命調べました。
その調査を通じてまたまた人との出会いがあり、そこでも再び人生をかけた調査をする羽目に陥りました。

そこでひどい痛手を負い、その痛みを通してとても多くを学びました。

その挙句に知ったのです。

私が飽き飽きしていた日常とは、凄惨な犠牲によって、大変な重みと、苦悩と痛みという代償によって、もたらされた結果だということを。

生命も何もかも投げ打って、凄まじい代価を払って残してくれたもののおかげで、私が文句を垂れていた生活が与えられていたと、その事実の重さが私を打ちのめしました。

耐えられないほどの痛みに胸の奥底から震え、涙と共に倒れひれ伏しました。

胸の中に溢れかえる重い感謝の念に、しばらく床に泣き崩れていました。

突然、光が私を覆いました。

犠牲を払ってくれた人たちの思いが私を包んでいました。
それは圧倒的な、絶対的な生命への賛歌であり、肯定感でした。

私は光の中にいました。
その光が涙を洗い流しました。

次の瞬間、私は感謝という幸福の中に浸っていました。

初めて知ったのです。

幸福とは、払われた犠牲の重さを全て知った上の感謝そのものなのだと、少なくとも私にとってはそうなのだ、と。

そのことを知って以来、何か美味しいものを味わう時、芳しい花の香をかぐ時、美しい月を見上げる時、友人と過ごすひとときに心からの笑い声をあげる瞬間に、過去に苦しみ傷つきながら、私を守ってくれた人たちが、私の胸の中で温かく微笑むのです。

一緒に味わうよ、と。

一緒にその香りを楽しみ、一緒に美を愛(め)で、一緒に胸の中でコロコロと笑い声を上げてくれるのです。

私と共に、ささやかな、ありふれた日常の幸福を、噛み締めてくれるのです。

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小林 真美 (チェトナ小林)

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